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大自然のなかの歌 - アメリカ先住民の詩

アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン、インディアン)に伝わる詩を紹介します。

青い夜がおりてくる
青い夜がおりてくる
ほら、ここに、ほら、あそこに
トウモロコシのふさがふるえている

大自然と日常に根ざした歌です。

かぎりなく遠い
むかしから
じっと
おまえは休んでいる
走る小路のまんなかで
吹く風のまんなかで
おまえは休んでいる

吹く風のまんなかで
おまえは待っている
年老いた岩よ

これは岩に語りかける詩でした。
下のふたつは詩の断片です。

あ かいつぶりだ
と思ったら
わたしの彼が水をはねる
かいの音だった

大草原を見渡せば
春のさなかに
夏を知る

次の詩は、散文のようですが、神話を語っているようでもあります。

ずっと、ずっと大昔
ひとと動物がともにこの世に住んでいた頃
なりたいと思えばひとは動物になれたし
動物もひとになれた
だからときにはひとだったり
ときには動物だったり
お互いに区別はなかった
そしてみんなが同じことばをしゃべっていた

アメリカ先住民には、トーテム(祖先としての動物)を持つ文化があります。

次は「夜明けの歌」です。エスキモー(イヌイット)に伝わります。

黒い七面鳥が 東の方で尾をひろげる
するとその美しい尖端が 白い夜明けになる

夜明けが送って寄越した少年たちが
走りながらやってくる
かれらが履いているのは
日光で織った黄色いモカシン

かれらは日光の流れの上で踊っている

虹が送って寄越した少女たちが
踊りながらやってくる
かのじょらが着ているのは
日光で織った黄色いシャツ

かのじょら夜明けの少女たちは おれたちのうえで踊っている

そしていま おれたちのうえに
美しい山々のうえに
夜明けがある

また、テトン・スー族のうたより。

たれかが
どこかで
話している
聖なる石の国の民が
話している
きみは聞くだろう
たれかが
どこかで
話しているのを

アメリカ先住民にとって「石」は、大事なものです。大地とともにあるからです。最初の方でも「岩」の詩がありましたね。

次は「空のはた織り機」という歌です。

ああ わたしたちの大地である母
ああ わたしたちの大空である父
わたしたちは あなたがたの子供

朝の白い光を経糸にして
夕べの赤い光を横糸にして
降る雨をふちふさにして
空にかかった虹を縁取りにして

わたしたちに光の衣を織ってください

それを着て わたしたちは
鳥の歌う森
みどりの草原を
行くでしょう

美しい歌です。比喩も、「衣」と自然が重なり合います。

では、「夜の歌」です。ナバホ族に伝わります。

夜よ
あなたはわたしの美しい使いとなる
あなたはわたしの美しい歌となる
あなたはわたしの美しい霊妙な薬となる
あなたはわたしの美しい神聖な薬となる

次は「神々しい駿馬の歌」から引きます。

おれはおれの馬ゆえに心が豊かだ

おれのまえには平安がある
おれのうしろには平安がある
おれのしたには平安がある
おれのうえには平安がある
おれのまわりには平安がある
こいつのいななきは平安をもたらす
おれは永遠で そして平安だ
おれはほかでもない 馬自身なのだ

さらに、「ペヨーテの神に捧げる歌」です。ペヨーテとは、幻覚を呼ぶ薬草のようです。カフェインのような覚醒作用の強いもの、というイメージでもよいかもしれません。

ウイリコータ ウイリコータ
 薔薇が生まれるところ
 薔薇が花を咲かせるところ
花環と そして風
 ウイリコータ

そしてペヨーテの心からは霧が湧き出る
青い雄牛が現れる
雨が降ってくる
青い雄牛が降ってくる

ウイリコータの生活の歌

大自然のリズムと、生活の息吹が感じられます。そして、神話的な動物の世界観が垣間見えます。

以上、『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』金関寿夫 思潮社 1993 より。

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