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2021.4.17. パステルナーク祭り(5)神々しく人間であること。生の光芒

ロシアの詩人、パステルナークを紹介する連載です。

最晩年の詩集『晴れよう時』より、目にとまる箇所を引用します。

創造の目的は──献身
鳴り物入りの大騒ぎや成功ではない
しかし僭称(せんしょう)者とはならず
最後にはわが身に宇宙の愛をひきよせ
未来からの声を聞く
さういふものとして生きなくてはならない

さうして余白を 紙の上にではなく
運命の中に残さなければならない
無名であることに沈潜し
そこに自分の足取りを隠さなくてはならない
一寸先もみえないときに
地形が霧の中に隠れるやうに
しかしおまへ自身は
敗北と勝利を区別すべきではない

さうしてただの一分たりとも
自己から撤退せず
それでも生きて生きて
最後の最後まで生命(いのち)あるものでなくてはならない

この詩は、無題ですが、詩人としての「信仰告白(クレド)」とも言える宣言です。

冒頭の句は「有名であることは醜い」なのですが、世間の評判は顧慮せず、自らの運命のみを追い求め、そのために世間の目から逃れゆき、勝ち負けではなく、自己の使命(詩を詠むこと、生きること)に徹するよう自分を仕向けています。

呼び名なく
鳳仙花 ふだんはおとなしいのに
いまきみは全身炎となって燃えさかる
わたしをしてきみの美しさを
一篇の詩の 暗く豪奢な望楼に閉じこめさせよ
きみは背なしソファに坐つたまま
トルコ風にあぐらをかいてゐる
明るくても暗くてもおかまひなし
きみはいつも子供のやうに分別を述べたてる

空想に耽つたあときみは
こぼれ落ちたネックレスの一握りの玉にひもを通してゐる
あまりにもきみの様子は悲しすぎる
あまりにもきみの会話は単刀直入すぎる
なぜそんなにもきみはかなしい瞳をしてゐる?

「呼び名なく」と題しながらも、冒頭、「鳳仙花」と目の前の女に呼びかけます。しかし、彼女の子供のような「分別」にはついていけませんし、悲しみをすぐ言葉にする様子は、どこも詩的でありません。

詩人は、「鳳仙花」さんにそれ以上、付け加える詩句を持たず、ただ「かなしい瞳」を前に内心、首を振るかのようです。

転換
かつてわたしは貧しき人々に愛着したが──
それも高尚な思ひからではなく
ただそこにだけ虚飾も
おめかしもない生きざまあがあつたといふ理由で
洗練された知識人をよく知つてゐたが
わたしはさういふ高等遊民の敵で
流離(さすらひ)の浮浪者の友だつた
けれどわたしのこころが壊れたのは
時代が劣化し
小市民や楽天家ぶりがもてはやされ
不幸が恥ずべきものとされたときから
わたしは人間を失つた
みんなによつてわたしが見棄てられたときから

一昔前までは、労働者の地味な生活に、生来の素朴さを見出すことが、パステルナークにも周りの人々にもできたのでしょう。

ところが、時代が移ろうと、その日の家庭の幸せや仕事の後の一杯をにぎわわせる、小市民と小利口ぶりが、世の中でもてはやされ、もう苦労する身の上は顧みられることもなくなりました。

そのとき、「転換」を感じた詩人は、自分が落ちぶれるのを否が応でも認めました。ただし、それは詩人としての頽落ではなく、かえって矜持なのでしょう。世に染まらないという──。

森の春
森の中は 樅(モミ)の木の塵芥 がらくた
なにもかも雪に埋もれてゐる
雪が溶け地肌があらはれた場所は
陽射しの水割りにひたされてゐる

これはロシアの遅い雪解けを詠んだ自然の歌です。

これでパステルナークの『全叙情詩集』からの引用を終わります。
以下は、解説です。

おそらく、パステルナークの偉大さは20世紀に特有のものであり、それは非ゲーテ的な偉大さといえます。

ゲーテの生きた18世紀〜19世紀初めには、「世界に出て冒険し、観察して、そこから素晴らしさを引き出して歌い上げる」ということが詩人の仕事でした。

それは「疾風怒濤」(シュトゥルム・ウント・ドランク)と呼ばれる文学運動でもありました。

晩年のゲーテがよく人生訓を語ったように、「この世界を総括する」(あるいは、人生というものを)ことは、社会的にも偉大な詩人の仕事としてふさわしかったのです。

ところが、市民社会が成熟した19世紀を経て、20世紀の初頭は前衛の荒れ狂う時代でした。世紀末から来る退廃を受け入れながら、それを逃れる時代の始まりです。もはや世界は閉ざされ、衰亡し、ばらばらになり、「まとめあげる」仕事は、批評家のものとなっていました。

そこで、偉大なるゲーテの物真似をすれば、落とし穴に落ちるのは明らかです。

そこで、パステルナークの偉大さが始まります。パステルナークは、吹雪の「疾風怒涛」を呼び起こし、それに翻弄されながらも突っ切ります。その生のさなかに自らを賭(と)して飛び込み、なにも批評せず、なにも外から見ず、徹底的に「人生の傍観者」にならないこと、「世界の観照者」にもならないことを哲理として詩を詠みました。

その「生の真ん中を生きる」姿勢ゆえ、彼の詩には「上から俯瞰したところ」がありません。なんの人生訓も、なんの他人へのコメントも含まれていません。生身の生があり、それゆえにかえって秘密めきますが、パステルナークは読者になにも隠してはいません。

若き日の詩集のタイトル「わたしの大切な妹、わが人生」(シェストラー・マヤー・ジーズニ。我が妹人生)は、実在の恋人を「妹」と呼びながら、その誰かへの愛を通じて、生命と人生(ジーズニ)を愛するとも読めます。

そのジーズニは、単なる個別の人生ではなく、人生のなかに無限に含まれうる世界そのものを求め、その世界を見てとるためには自らの運命をとらえ続ける、という深い決意に根ざして、初めて生き抜かれたのでしょう。


『パステルナーク全叙情詩集』工藤正廣訳 未知谷

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