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ショートストーリー 子供の頃にできたのに大人になるとできないのはなぜか

子供の頃、できたこと。だけど大人になったらできなくなってしまったことってたくさんある。たとえば、宙に浮くとか物を動かすとか、鳥とお話をするとか雨を止ませるとか。それは、お腹がすいたらご飯をたべるってくらい普通のことだから、なぜこんなことができるのだろう?なんて考えたこともなかった。だけど、他の人にはできないことだったらしい。
皆、子供の頃はできることがたくさんあるのに「そんなこと偶然だ」「たまたまできただけだ」って言われたとたんできなくなるのかもしれない。

子供の頃、他の子供と同じように、お友達とおままごとや縄跳び、バトミントンとかで遊んだ。それはとても楽しかったけど、たまにひとりで遊びたくなる時もあった。空を見上げて、ちっちゃな雲を消してみたり、話しかけてくる鳥たちとおしゃべりしたり。おしゃべりっていっても、鳥たちはそんなに難しいことは伝えてこないけど。

ある日、学校の休み時間に、友達とトランプで遊んだ。ババ抜きで負けたことはなかった。毎回勝つ私に友達が「なぜそんなに強いの?」って聞いた「だってババがどこにいるか見えちゃうもの」
そう言った途端、皆がおかしな目で私を見た。
普通は見えないことを見えるって言ってはいけないことを知った。
今朝、鳥が「いい天気、楽しい」って話しかけてきたことも、きっと人には言ってはいけないことだろう。先生が使っているペンを机からコロコロ転がして床に落としたことも、きっと人には言ってはいけないことなんだろう。そうやって人に言ってはいけないことをいろいろ学んでいった。

なぜ自分ができることを人に言ってはいけないのかって? それは「おかしな奴」「不思議な子」っていうレッテルを貼られたら、一生、私はそのレッテルを貼られたまま、普通ではないという扱いをされてしまうのがいやだったからだと思う。レッテルって貼るのは簡単だけど、はがすのは難しいからね。

中学生になると勉強や部活があるから、ひとり遊びもしなくなったし、子供の頃にできたことをやらずに過ごした。ふと「宙に浮くって気持ちよかったな」って思い出して、久しぶりにやってみようって思っても、どうやるんだっけ?ってかわからなくて、とうとうできなかった。

開いている部屋のドアを念力で閉めることはできるけど、時間がかかるから手で閉めた方が早いし、食べ物の味を美味しくすることはできるけど、時間がかかるから待てずに食べてしまう。だからどんどんできることをやらなくなった。

大人になると、何かをやる前にやる方法を考えたり、大勢ができないことは自分にもできないって思ったりする。本当は自分にはできることなのに
「できるかわからないな」
「できないと思うけどやってみよう」って、できないことを前提でやろうとする。最初から「できる」「I Can Do It」って信じれば、できるんじゃないかな。

ある晴れた休日、公園のベンチに座り空を見上げたら、真っ青な空に白いもくもく雲がたくさん浮かんでいた。手頃な大きさの雲を消してみようと思った。子供の頃にやった遊び。
「薄くなる、消えてなくなる、消えちゃった」
雲があったところに清々しい青が見えた。

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