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なんとなく覚えていること


日常のなかで、もう言葉にするほどでもないくらい自分のなかに馴染んでいる記憶がある。

何かにつけて思い出すけれど、いま自分これを思い出してるなあ、というのを自覚することも難しいくらいの何か。二つの石鹸をだんだんくっつけていくみたいに、いつのまにか自分の一部になっている記憶の断片。それは友達との会話だったり、テレビで見聞きしたことだったりする。

そういうことって、思い出さなくなっても気づかない。今までの人生で、そうやって自分の一部となって、もう思い出さないことってけっこうある気がする。
それはなんとなくもったいないので、ここ数ヶ月で集めた「なんとなく覚えていること」をひとまず書き留めておく。

  • かなり前の朝ドラで、戦場から帰ってきてから命を殺したもの(動物、植物全般)を食べられなくなった男性に、主人公が牛乳を飲ませた話
    →牛乳の入ったお椀を思い出す

  • 大学時代の友人2人が和式トイレ派で、それぞれ理由が「便座に肌をつけなくていいから」「踏ん張れるから」だったこと
    →和式トイレをみかけると思い出す

  • 高校の吹奏楽部で、「シンバルは手がぴっちり合うように叩く」と指導されていて、手をぴったり合わせる拍手が流行ったこと
    →拍手するたびに思い出す

  • 高校のとき、後輩が電車とホームの間に挟まったこと
    →電車とホームの間が空いているときに思い出す

  • 中学のとき、友達が「かわいいねって言われたらにっこり笑って『ありがとう』でいいんだよ」と言っていたこと
    →褒められたときに思い出す

  • ドラマで、自堕落な設定の主人公が、「ベットシーツは月一回しか洗っていない」と言っていたこと(私もっと洗ってないけど…?と思った)
    →ベットシーツを洗おうと剥がすときに思い出す


他人から見たら「だから何?」でしかなさすぎる。
これを日々の中で掬いだすのがけっこう難しかった。いま自分これを思い出してる!と気づくのに時間がかかるくらい、当たり前にはじまる回想だから。

こういう記憶に名前をつけたい。何がいいかな。

置き物の記憶。どうですか。たとえば玄関に置いてあるハーバリウムとか、毎日見てるんだけど、だからこそそこに「ある」とわざわざ思わないようなもの。

多分みんなに「置き物の記憶」があるんだろうし、人によって内容が全然違うんだろうな。
全員に聞いてみたいけど、すぐに答えられるようなもんじゃないから難しいし、答えられる人がいたら怖い。

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