くるりの「ハイウェイ」を聴いて、無性に遠くに行きたくなるのが10月。 ということで、10月下旬の木曜日、職場の仲良しの先輩を連れて岡山県に行った。誘ったらどこでも付いてきてくれる人なので声をかけたら、案の定「お供します」とのことだった。 今回の旅の目的はいくつかあるので、それを軸にお話していきたい。 ①瀬戸大橋を車で走る 私は車の運転が苦手だ。気配りができる性格ではないし、それが注意力のなさとして事故の危険に直結していると思う。 でも秋だもの。秋はそんな私ですら、
東京りょこーに行った! 行きたいところが溜まりに溜まっていたので、それを消化する旅。職場がシフト制である強みを活かし、三連休前の木、金曜日というかなり人の少なそうな日を選んだ。 今回も同行者は母。 1日目 ・アマムダコタン(表参道) 母はパン屋を営んでいるため、やっぱり東京のおいしいパン屋リサーチは欠かせない。11時の開店に合わせて15分ほど前に着くように行ったら、もうかなり並んでいた。 前に並んでいたマダムから、近くでパンが食べられそうな公園の情報を仕入れつつ、30分?ほ
私の勤務先は休日が少ないので、平日を楽しんでいくのが吉。 平日限定で、よかったことなどを書いていく。 水曜日 すいかひとたま抱えて帰った。職場でおやつに出して、余ったやつ。 まあまあ大きかったから翌日普通に筋肉痛になった。バスでは膝に乗せてたけど、チューバ乗せてるくらいの重さあった気がする。 切った。 夏の心臓。 スイカってちょっと怖い赤さしてる。 土曜日(勤務日) 6連勤終了やったね散歩。 どこまでも歩きたくなる広い歩道。 秋になったらぜったい歩く。この歩道が狭
本番の日の短歌。 連作「休日演奏家」
今までの人生の、自分で決めたことの中で、これは正解だった!と言い切れることがたった一つある。それは「中学の吹奏楽部でトロンボーンを選んだ」ということ。 歯列矯正をするから金管楽器がいいし、マウスピースが大きめの方が痛くないらしいということで選んだのだが、こんなに長く続けるとは思っていなかった。 そして中学1年生のときに買ってもらった楽器をずっと使っているので、この楽器とは人生の半分を共にしていることになる。 中学校の日当たりの悪い廊下で、はじめて楽器ケースを開けたときのこと
昼過ぎまで1人ファッションショーをするなどしてだらだらしていたが、職場の同期と夜ご飯を食べる約束をしていたので、いちばん日差しが濃いと思われる時間に家を出た。 場所は京都駅で、銀行に払い込みにいく予定もあったので、用事を済ませてふらふらしつつ同期を待とうと思ったのだった。 私は人と会う時も会わない時も、基本的に自分の着たい服を着る。相手がどう受け取るかとかは、マッチングアプリとか大勢の飲み会でない限りは考えない。 今日は黒のカーゴパンツに黒のシースルートップス。カーゴパンツ
ケーキってほんとうに素敵。 たとえ身に災難が降りかかっていても、食べてる間の数分は周りをヴェールに包まれて、かりそめでも幸せになれるから。 やわやわで、幸せの象徴としてその傍らにいる、ケーキ。家にちょうどいいフライパンがなかったり、布団カバーが破れていたりして買うべきものはたくさんあるはずなのに、私たちはかわいいケーキ皿やそのお供のティーカップばかり眺めて、思わず買っちゃったりしている。 私はケーキ屋さんでバイトをしていたことがある。 町のケーキ屋さんという感じで、ロール
さいきん、仕事で1人のおばあちゃんの食事介助をしている。 ミキサーにかけた料理をひとさじずつ口に運び、かすかに喉が動いたのを見計らってつぎの一口を用意する。 私の担当しているおばあちゃんは、まったく喋らないから声を知らない。たまに少し咳き込んだときに声帯がふるえて、声らしきものを聞いたりするくらいで、どんな話し方をする人なのかは分からない。 今日は晴れてますねえとか、緑がきれいですねえとか話しかけたらにっこりしてくれる時もあるくらい。 ご飯を食べるテーブルの上に写真が置い
人の心って、くだものみたいだと最近思った。 真ん中に種があって、それを覆う柔らかくてあまい果肉がある。種は食べられないからそれを避けてかじったりする。 種をかじってしまわないように気をつけながら果肉を味わう。それが会話だ ともいえると思う。 種が大きくてあんまり食べるところのないビワみたいなのもあるし、スイカみたいに種が散らばってて常になんとなく気を張って食べないといけないものもあるし、りんごみたいに種が小さいから心おきなくかじりつけるものもある。 種に近づくにつれてど
日常のなかで、もう言葉にするほどでもないくらい自分のなかに馴染んでいる記憶がある。 何かにつけて思い出すけれど、いま自分これを思い出してるなあ、というのを自覚することも難しいくらいの何か。二つの石鹸をだんだんくっつけていくみたいに、いつのまにか自分の一部になっている記憶の断片。それは友達との会話だったり、テレビで見聞きしたことだったりする。 そういうことって、思い出さなくなっても気づかない。今までの人生で、そうやって自分の一部となって、もう思い出さないことってけっこうある
死の気配をぬぐうように、桜の下をくぐった。 いまの仕事は、看取りまでの時間を安らかに過ごす方たちと接する機会が多い。 命が終わることを待つ、その空間は言い表しがたい独特の雰囲気がある。言い方はあれだが、その気配を背負ったまま退勤している気がする。 最寄駅から自宅までに、3本の桜がある。 ひとつは警察署の濃いピンクの桜、ひとつはごみ置き場の前にそびえる桜、もうひとつはT字路のつき当たりで、どうだと言わんばかりにしだれている桜。 どれも水銀灯のつめたい光に花をさらしていて、静
プレゼントは、人の心を形にする。
出町ろろろのランチに行った。 京都の今出川らへんにあり、カテゴリーとしては「和食店」。 学生時代、食べることが大好きな大学の教授がおすすめしてたお店。 もう本当にね、とてもとてもとてもおいしかった………。ぜひ長々と語らせてもらいたい。 まずお店の雰囲気がよい。落ち着いたマダムもいらっしゃったし大学生のカップルもいた。 予約の時点でお弁当かミニ懐石か選ぶ。今回はミニ懐石にしてみた。 まず出てきたのがこれ。 各々の細かい料理名は忘れてしまったが、全部おいしかった。 ほとん
なんやかんやあって、歳時記を読んだので感想を書く。 歳時記は、俳句をつくる人のために季語が季節毎にたくさん載っているものである。 言葉の趣を説明しているので、執筆者の主観もところどころ入っていて笑ってしまう。 (俳句はほとんど触れたことがなく、的外れなことを書いていたらすみません) 歳時記の魅力 ①いろいろな言葉の由来が載っている 手頃な雑学の本みたいだなと思った。 いちばん印象に残ってるのはこれ。 本当に…? 他に「春」「夏」「秋」「冬」それぞれの語源
見返したら去年もこれくらいの時期にやってた。これから1年ごとにしよう。 Xで呟いたものから。 エチュード弾いたときだけ生き返る美しい思い出たち ずっと行きたかったところ、ずっと欲しかったものがあるっていうだけで素敵ですよ 私はなーひとりで見た世界になー救われるしかないんだぜーそうだろ いまニックネームでLINEを登録してる人がそれを本名に変える時がいつか来ると思うと、怖い ハ音からへ音の読み換えくらいキモいんよなあの子のぎこちなさ しんどいけど、短歌にされるとち
母も私も餃子が大好きである。 ちょうど昨日、家で餃子パーティーをしたのでその様子を記していきたい。 この先、餃子の足りていない日々を過ごすことになったとき、これを読んで心の穴が満たされることを願って…(むしろ広げそう) まず、「餃子」は買い出しに行くところから始まる、というのが私のポリシー。買い出しに行き、野菜を切り、タネをこね、包み、焼く。そして食べる。この一連の流れを「餃子」と呼ぶ。私の中では食べ物の名前ではなく、イベント名である。 と言いつつ今回は母が買い出しに行っ