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6/6 わたしと母の生きかた

母のことは好きだ。
でも、嫌いだ。

母はなぜだかいつも、とても隅っこのほうで生きている。道を歩くときは、いつも端っこギリギリまで寄って歩く。誰と歩くときも、つねに一歩うしろを歩く。口をついて出る言葉は、「すみません」や「ごめんなさい」。それはもう、不思議なくらいに、行き過ぎと感じるほどに。なにかから避けるように、隠れるように、自分を否定しているかのように。

そんな母の姿をみて、今日のわたしは、少しだけ苛立っていた。それは、わたしの中に存在する、わたしの嫌いな部分を目の当たりにしていたから。

わたしは幼い頃から母を見て育ち、母の生き方が正解だと思い込んで、長年、当たり前のように生きてきた。そしたら、なぜだか全くもってうまくいかなかった。むしろ、どんどん苦しくなって、つらくなって、隅っこのほうで生きるだけでなく、自分で自分をどんどん世界の端まで追いやって、本当に消えたくなってしまった。

どうやら血はつながっていても、母とわたしは違うみたい。そう、ちがう人間なのだ。そのことを心底理解するまでに、少しだけ時間がかかってしまった。

母の生い立ちは知らないし、どんな環境で育ってきたかは知らないけれど、母は母の生きかたで人生を歩んできて、それが彼女にとっての真っ当な生きる術なのだ。そしてそれは、わたしには関係がない。


ここ数年で、わたしは意識的に「すみません」を「ありがとう」に変えてきた。自分の心地いいペースで歩くようにしてきた。人目から避けるような生き方から、ありのままで存在してていいんだと自分を認めてきた。少しずつ。少しずつ。長い時間をかけて。

そうして気がつけば、母と自分を重ねるように生きてきた自分から、今では大きく変化した。

だからこそ今日は、わたしの中に残っている母と重なる部分が顕著にみえてきて、変わりたいけど変わりきれていないわたし自身に苛立ってしまっていたのだ。


母の幸せは、母が決める。
そして、わたしの幸せは、わたしが決める。

わたしはわたしの生き方で自由に人生を歩めばいいということを、あらためて思い直した、そんな1日だった。

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