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【お題エッセイ】#001 雨

こどものころ、もっと雨が好きだった。

中学生のとき、「雨は気持ちが落ち着くから好きです」みたいなことを連絡ノートに書いたら、担任からの返答コメントで「しぶいね! 僕はこの年になってようやく雨もいいかなと思えるようになりました」というような内容が返ってきたのを覚えている。

そして確か、当時の私は「しぶいね」と言われたことになんだかとても違和感を持ったのだった。

“晴れが「いい天気」で、雨が「悪い天気」”。

今でこそわたしもその概念に染まってしまったなと感じるが、当時の私にとって、晴れや曇りや雨はフラットで、対等な関係だったのだ。

なぜ雨が好きというと「しぶいね」と言われなければならないのか、少々ムッとしたのかもしれないし、単純に雨が好きなことが「変わっている」ととられたことを不思議に感じたのかもしれない。

その違和感の詳細は思い出せない。

*  *  *

雨が好きだった理由は、先に述べたとおり、気持ちが落ち着くからだ。

室内にいて、頬杖でもつきながら窓の外で雨が降るのを眺めていると、心がしん、と落ち着いて、なんだかもうずっとそうしていられそうな気がした。

特に家の庭や、学校の中庭には緑が植えられていて、そういった緑が雨に濡れ、色が深みを増しているのを見るのが好きだった。

考えてみれば植物にとってはまさに恵みの雨なわけで、そういう意味では本当に植物も喜んでいたのかもしれない。雨に濡れた緑はいつも、晴れの日よりいきいきと、輝いて見えた。それを見るのが好きだった。

*  *  *

おとなになった今でも、雨を見るのは好きだ。

スタバかなんかの窓際のカウンター席に座っちゃったりして、温かいチャイラテなんぞを飲みながら、雨に濡れた街をみる。雨に濡れて深みを増す街路樹を見る。

そんなひとときは最高だなと思う。

*  *  *

けれど、数年前に家で仕事をするようになってから、天気の影響をもろに受けるようになった。何に対してかというと、自分のテンションというかやる気というか、気持ちにだ。

朝起きてどんよりと暗く雨が降っていると、どうしてもなかなかやる気スイッチが入らない。

無理にでもやっていればスイッチも入るだろうと思ってPCに向かってみるのだが、どうも気分が乗らない。結局そういうときは早々にあきらめて、外のカフェへと場所をうつして気分を変える、というパターンになっていた。

主婦になったらなったで、これもまた天気で気分が大きく左右されてしまう。雨で暗いとやっぱり朝も気合いが入らないし、洗濯物の予定も狂ってあーあ、となる。

逆に晴れていると、あー、今日は洗濯日和!すっきり乾いて気持ちいいわぁ、とわかりやすくテンションもあがって、他の家事もやる気がアップしてしまったり、するのだ。

*  *  *

雨だと気持ちがどぉんより。晴れればぱぁっと明るく。

自分の気持ちがそんなふうにわかりやすく影響を受けているのに気づいて、やっぱりそういうものなんだなぁと思う反面、ちょっとばかしショックでもあった。

“晴れは「いい天気」、雨は「悪い天気」”。

こどものころは疑問をもっていたはずのその概念に、すぽっとはまっているなぁと苦笑する。

例えば農業を営んでいたり、オーストラリアでホームステイした先のように自宅にウォータータンク(雨水をためて生活用水に利用する)を設置していたりすれば、きっと昔の自分のように、雨も晴れも曇りも、ひとしくフラットで感謝できる、対等な存在として捉えられるように感じている。

そう思うと、ちょっと切ない。

いまの自分の視点は、とっても限定的だなと思う。

*  *  *

「あ、今日は雨か」。

朝カーテンを開けてそうつぶやいたとき、反射的に「洗濯乾かないや」「でかけるの億劫だわ」と浮かぶフレーズには、とりあえずいったんフタをして。

雨に濡れた緑の、あのいきいきとした、輝くような表情を、それをぼーっと眺めてきれいだなぁ、と純粋に感動していたこどものころの自分の気持ちを、脳裏に引っ張り出してきて。

「ま、今日はそういう日だね。いいんじゃない」と、そっとにっこり、微笑むくらいの余裕を、心のなかに持っていたい。


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【お題エッセイ】#000 お題エッセイ


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