ふと思い出すFさんのこと。
特別親しいと呼べるわけではない間柄のだれかについて、ふと思い出すことがある。ほんとうに何の前触れもなく、ふと。
ここ最近、よくFさんのことを思い出す。今朝も娘を保育園まで送ったあと、街を歩いていてふと、Fさんのことを思い出した。
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Fさんはわたしが新卒1年目のときに、途中から入ってきた派遣社員さんだった。基本的には週3回、9時から17時までの間、出社されていた。
当時わたしは右も左もわからない新入社員で、自分自身が常にあっぷあっぷとしていたから、ましてや人に何かをお願いするということはべらぼうに下手だった。
それでも何度かFさんに仕事の一部をお願いするという経験をするうちに、「ああ、このお願いのしかたではこの部分が伝わらなかったのだな」「そうか、目的を共有していなかったから、ここの優先順位が反対になってしまったんだ」なんて、いろんなことを学ばせていただいた。
人にお仕事をお願いするときには、何をどこまで伝えないといけないのか。自分がのぞんでいるアウトプットを得るために、必要な要素は何か。
ただテレアポや郵送作業など「手を動かす作業の一部」をお願いしているつもりでも、その前提や背景、目的を共有しておくかおかないかで、作業で迷ったときの判断や、作業内容が変わってくる。思っていたアウトプットと違うアウトプットが返ってきたときは、自分の指示の出し方のどこかに問題があったということ。
そんな、たくさんのことを。
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それは完全に当時のわたし目線の話だけれど、いまふりかえってみると、当時の状況はまったく違う色を帯びて、わたしの中によみがえってくる。
Fさんは当時たしか40代で、当時のわたしは20代前半。けれど年下の、経験も浅いわたしのつたない指示を、いつも優しく聞いてくれていた。基本的にいつも、とても穏やかな空気をたたえていて、ニコニコとされていて、他の社員も含めて、オフィスの癒し的な存在であったと思う。それは当時から。
ただ、当時のわたしは世間知らずであったから、派遣社員さんの生活の背景については、ほとんど思いを馳せることがなかった。
批判を承知で、当時のわたしの未熟すぎる脳みそで感じていた印象を書くなら、「主婦さんって派遣さんをやるんだなあ」である。我ながら、はっ倒したくなる。今なら。
“何が『主婦さんって派遣さんをやるんだなあ』だよ。そもそも主婦全員が派遣という働き方を選ぶわけでは決してないし、きみの考えている主婦の定義ってなんだ。それに派遣という働き方だって立派なひとつの選択肢だし、君も後々、自らそれを選択する時期もあるんだよ。会社で働く時間がすべてじゃない。きみは、そのひとが会社で過ごす時間以外のことを何も想像できていない。ひとそれぞれ、暮らし方があって、たとえばお子さんやご家族のお世話があったり、趣味に時間をかけたり、体調や健康維持のためだったり、何かを大切にするという理由から、バランスを考えて働き方を選択するひとだってたくさんいるんだよ。幸せの定義が、そもそも人それぞれなんだから。”
過去の自分が相手なら、そのくらいのことはばあっと、容赦なく言ってしまいそうだ。
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当時、職場には他にも複数人の派遣社員さんがいた。それでもわたしの中で、Fさんの印象が強いのはなぜだろう。
たぶんFさんは、いきいきしていて楽しそうだったのだ。
本格的な日傘に帽子、手袋で厳重な日焼け対策をして出社する、というとても美意識の高い一面もあれば、体力づくりのためといってジムに通いはじめて、そこにイケメントレーナーがいる話をしていたり、マラソン大会に出場する話をしていたり。
お子さんがいらっしゃるのは知っていたけれど、今思えばほとんど、育児の話なんて出なかった。それは当時、独身のわたしが相手だったから、そんな話をしなかったのかもしれないけれど。
と書いていて、一度だけ、「ほんと、どうやったら○○さん(わたしのこと)みたいな子になるのかなあ!って思う」と言ってくれたことがあるのを思い出した(自慢だ)。いま思えばお子さんの存在を意識したのはあのときくらいだ。買いかぶりすぎです!って言った気がするけど、今ふりかえってさらに強くそう思うけど、あのFさんにそう言っていただけたことを、たとえお世辞でも誇りに思う。
とにかく、何が言いたかったかというと、彼女の話題の中心は子どものこと、ではなかった。お母さんという一面はありながらも、彼女は自分の時間をとても充実させていたし、何より楽しんでいた。
それがたぶん、他の方とは少しちがった。正社員とか派遣社員とか関係なく、他の方よりもきらきらとしたオーラをまとっているように見えた。
それから、Fさんが印象的だった他の理由に、彼女が少し英語を話すということもある。
本格的に流暢というわけではないけれど、たとえば会社に突然英語の電話がかかってきたりしたとき、電話に出ているのがFさんだと、とっさに英語に切り替えて応対していたりした。そのシーンを斜め前のデスクから見ていて、あ、かっこいいなあ、なんて思っていた。
聞いてみたら、若いころに少し、留学していたことがあるといっていた。「ほんと、若いころだから、昔ですよ〜」って、やさしく笑って。
わたしが会社を辞めて海外へ行くと告げたとき、「絶対、楽しいと思う〜!」ってニコニコ、いつものように笑ってくれたのも、Fさんだった。
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そういういろんなシーンを、自分が結婚し、出産して、見える景色が変わったいま、改めてふりかえって、思う。
これはもちろんわたしの勝手な想像にすぎないけれど、Fさんもきっと、もしかしたら、近しい道を通ってきたのかもしれないな、なんてことを。
若いころ、自分の興味に従って外国へ飛んでみたりして、帰国後もスキルアップや成長を求めて、いろいろと仕事に没頭した時期もきっとあって。
それから子どもが生まれて、仕事や自分のやりたいこととのバランスに悩んで、ちょっと苦しくなってしまった時期も、もしかしたらあって。
そうして子の成長とともに、自分がやりたいことを見つけたりもして。そんな中で、安定的にお金を稼いだり、複数のつながりを持つために、派遣社員という形を選択していたのかもしれない。一方で、マラソンにジム通いに、そして家族との時間を、楽しんでいたのかもしれない。はたまた、わたしが知らなかった他の趣味や活動もあったかもしれない。
Fさんのあの働き方は、当時の彼女にとっていろいろな経験や葛藤を経たうえでの「ベストバランス」だったのかもしれない。
もちろん、すべて勝手な想像だ。だから実際は違うかもしれないけれど、でもきっと、当時の彼女は趣味と仕事と家庭、いろいろなバランスをうまくとっていたことは事実なんじゃないかな、と思うのだ。
彼女のまとっていたきらきらとしたオーラを、そのニコニコとした笑顔を思い出しながら、わたしはそう思う。
最近自分がよくFさんのことを思い出すのも、それが理由なのかもしれない。
まだまだ、ずうっと、探しているもんなあ、バランス。
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あるシーンを、あるひとを、年月を経てからふと思い出すことがある。それも、まったく違う色を帯びて思い出すことが。
それを若気の至りといって、恥の記憶として片付けることもできるけれど、思い出の熟成と呼べばちょっとだけ格好いい。ちょっぴり苦くて切ない気持ちも噛み締めつつ、もう一度、今の自分の視点で味わいなおしてみたい。
今Fさんは、どこでどうしているだろう。
きっと今もいろんな変化を経たうえで、新しいバランスをとりながら、きらきらとしたオーラをまとっているんじゃなかろうか。
Fさん、あのころの新入社員は、あなたの素敵な生き方にいま、10年以上遅れて気づいて、あなたのことを思い返しています。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。