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たかがリレー、されどリレー

なぜかわたしは、娘の保育園をふくめた合同運動会で、リレーを走ることになっていた。

物心ついたときから運動音痴を自覚している自分が、いったいなぜ首をたてに振ってしまったのか。とんと見当がつかない。

いや、ほんとうはわかっている。

その日、いつもと同じように保育園のお迎えにいったら、いつもと同じ先生がいつもとは違うくねくねした歩き方で、上目使いの表情でかわいらしく近づいてきたのだ。そのまま両手を目の前でぴたりとあわせた「おねがい」ポーズで、「○○ちゃんママに、お願いがあるんです〜」という。

その様子にただならぬ気配を感じたわたしは、「え、なんですか」と身構える。すると先生は、キラキラした目でこちらをじっと見つめ、首をちょこんとかしげて、いったのだ。

先生「運動会の保護者リレー、走ってくれませんか?」

私「え、やだーー」

思わず言葉づかいもくずれ、反射的に正直すぎる反応をしてしまったら、なんとそこから、周りにいた園長先生やらえらい先生やらの加勢がすごかった。「その前にこどもたちが何人か走るから、もう順番なんてわかんないから、だいじょうぶ!」とか。その隣でさっきの先生もひたすら手を合わせたまま、懇願の表情で「お願いします!」と言っている。

その先生の必死ぶりに、あーべつにちょっと走るくらいいっかあ、と思ってしまったのだ。たぶんこの様子だと、もう何人か声かけて、けっこう断られてるんだろうな。イベント運営の経験が下手にすこしある分、運営側の気持ちに入ってしまいやすいのはわたしの弱点だ。

それにさ、母が走ったら、娘はちょっと楽しんでくれるかもしれない。そう思った。娘のためなら、母がちょっと恥かくくらいどうってことないや。そんな気持ちで安請け合いしてしまった。

私「あぁはい、いいですよ……」

先生「やったぁああ!ありがとうございます!!」

隣の園の先生「あら、こっちは早く決まったわねえ」

回答後、そんな隣の園の先生のひとことを聞いて、なんだ、まだまだ序盤だったのか? まだわたし、断っても大丈夫だったのでは……という弱気な気持ちが頭をよぎったが、もう後の祭りである。

* * *

その後も運動会が近づくにつれ、ゆううつ度が日に日にましていった。

ことあるごとに夫に「あー、やだなー」「何人くらい走るんだろ」「とりあえず転ばないことを目標にする」「あれだよね、最後にみんなにあたたかく手拍子で応援されて、走りきったら拍手されるやつ」などとたらたら言っていた。情に流されたとはいえ自分で引き受けたくせに、未練たらしいったらない。

そんな気持ちで向かえた本番、当日。

保育園の合同運動会というのが初めての経験だったので、予想以上に大規模で、園児たちの演技や競技はいちいちかわいらしいし、前日までのゆううつはどこへやら、なんかお祭りだから楽しめばいいんだな、とちょっと楽しみになってきた。

それに運動会というと、なんとなくグラウンドをイメージしていたけれど、今回の運動会は小学校の体育館で行われているもの。園児たちも先生たちも皆はだしで駆け回っているし、この感じで保護者もはだしで走るなら、なんだか気楽だ。

多くの演目が終わった後半、アナウンスが流れる。

「保護者リレーの代表の方は、入退場口に集合してください」

せっかく気楽になってきたのにこの“代表”ってことばは心臓に悪い。ちょっとまってよ、小学校でも足おそい方から数えたほうが早かったのに、代表とかいって招集してくれるなよ……(担当と言ってほしい)と思いつつ、またゆううつな気分をちょっぴり再発させて、しぶしぶ集合場所へ向かった。

案内された列に立ったら、各保育園とも男女比とその走る順番はそろえているらしく、わたしの前後はお父さん勢だった。わたしと同じように普段着のお母さん方も多かったけれど、男性はけっこう、ガタイのいいガチ勢が多い。50メートル走とかまともに勝負したら、5秒くらい違いそう。

いかにもいつもランニングしてますよって風の本格的なランニングウェアで決めているパパさんもひとりじゃない。ひええ。みなさん背も高くて、チビのわたしは心身ともに完全に埋もれていた。

* * *

まあいいや、わたしは余興だ、余興……。

なんとか必死に自分の弱小メンタルをコントロールしてやりながら、いざ入場。最初にこどもたちが3人バトンをつなぎ、その後に保護者。1番目のお母さん、2番目のお父さん、わたしは3番目に走って、そのあとのお父さんのバトンをつないで、もう2人くらいお父さんがつづいてゴール、という形。

「よーい、ピッ!(笛の音)」。

いざ園児たちが走り出してしまうと、もうわたしもテンションがあがって、一生懸命走るこどもたちをみながらにこにこわくわく応援していた。わあ!がんばって手をふって小さい足で走っている!かわいいよ!

しかしここで、喜ばしくも大問題が。なんと私の赤チーム、トップで来るじゃないか。こどもたちの努力を水の泡にする可能性がわたしにはあるよ!どうしよう……!母ちゃんそんなのはいやなんだ。

どきどきとわくわくを胸にいだきながら、順番はトップのまま、1番目のお母さんにバトンは渡り、2番目のお父さんにバトンが渡る。トップのままで来ちゃうよ、やばいやばい。自分で抜かされることだけはさけたいのに、その可能性ありすぎるよ。こどもたち、ごめん……!

バトンが回ってきた。

とりあえずケガをしない。それが今回、わたしが夫に約束した目標だったので、ケガしない限りのいちばんのスピードで、がんばって走る。

走りはじめて、初めて気づいたことが2つあった。

まずひとつは、“か、からだが、軽い……!!”ということである。

赤子の飲み物やおやつやおむつが入ったパンパンのリュックも持たず、PCも背負わず、かつ抱っこ紐にこどもを入れるわけでもなく、しかも靴すらはかずに身ひとつで走る、この軽さよ! 自分が気づかぬうちに、相当な負荷をかけて日々筋トレをつんでいたことに気づく。電車に乗り遅れそうで、重たい荷物をしょったまま全力疾走をするほうが、よほど息が切れる。

そしてもうひとつは、これが何より大きいのだが、“このコースは、チビに有利……!”ということだ。

なんと、筋肉隆々のお父さん陣が、スッテーン!と勢いよく転んでゆくのだ。そう、ここは小学校の体育館。そして今日は、ちびっこたちが主役の運動会。小さな楕円で描かれたリレーコースは、背の高い大人の男性には小さすぎるのだ。

スタートして、大きな歩幅で2、3歩走れば、もうコーナーが来てしまう。つまりトップスピードにのる前に、どんどんコーナーがきてしまうのである。そうしてスピードのあるお父さん勢は曲がりきれず、勢いあまってコーナーでスッテーン!と転んでゆく。

わたしは今さら気づいた。ここはちびっこのためのリレーコースだったのだと。そして身長が低く足の短いわたしは、大人の中でかぎりなくちびっこに近いのだと。わはは!

“小回り、得意……!”

お父さん方が持っている力をたぶん3割くらいしか発揮できなかったであろうのをいいことに、チビ母は持っている力を精一杯つかって、なんとかトップのままでバトンをつなぐことができたのだった。

* * *

直線の短距離走だったら、勝ち目はない。それは誰の目にもあきらかだ。

でも戦う条件次第では、持っている運動能力が活かせないこともある。もしかしたら車椅子バスケットなども、近いところがあるのかもしれない。

リレーは完全に、足の速い遅いで勝敗がつくと思っていたわたしにとっては、けっこう目からウロコの体験だった。足が遅くても、走る競技で勝つ可能性はゼロじゃないんだな。前提条件次第なんだな。

なんだかほかの分野でもあてはまりそうな、おもしろい学びを得たので、走ってよかったと思う。それにこどものころから長年、苦手意識しかなかった短距離走のイメージが、ちょっとだけ変わった気がする。

保育園の先生、こんな運動音痴にも、声かけてくれてありがとう。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。