吹奏楽部人口は減って良い

最近、学校吹奏楽部の人口が減ってきている。
どうやったら吹奏楽部の人口が増えると思うか。

という意見を会話の中で求められる機会がありまして、、、

そこで話したことが、意外に反響があったので、これを機にここでも少し自分の意見を書きたいと思います。

結論から言うと、学校吹奏楽部の人口は減って良いと僕は思ってます。

その方が自然の流れじゃないかな、と。

毎年吹奏楽コンクールのプログラムなどを見ていると、
「小編成多すぎない??」
と思うことが近年、本当に多いです。

編成を工夫したりして何とかできる人数なら良いのですが、明らかに必要奏者が足りていない編成。

こういうのを見るたびに思うのが、
なぜここまで吹奏楽にこだわるんだろうな、ということ。

一般的な中高生の間だと、管楽器=吹奏楽のイメージがみんな強すぎると思っています。
管楽器を使用する音楽だけに絞っても、オーケストラや室内楽、ブリティッシュ金管バンドや、ジャズビッグバンド、ジャズコンボ、ブラスロックからコンテンポラリーミュージックまで、世の中にはたくさんの音楽ジャンル、編成があります。

吹奏楽は僕も大好きな音楽ジャンルですし、あの規模間でしか表現できない、素晴らしい音楽です。

ただ、それが十分に表現できない、作曲者の意図を完璧に再現できない状態に陥ってまで、無理に吹奏楽を続けるということには少し違和感を感じます。

集まれる人だけで集まって、完成度とかそういうことよりも、みんなで楽しくワイワイ演奏出来たらそれで良い、というのなら全然ありだと思います。
そういう音楽の在り方も素晴らしいと思います。

しかし、音楽性を追及するコンクールのような場所に、そのような状態でまで出なければいけない状況。
そこに意味はあるのかなとどうしても感じてしまうのです。

これは吹奏楽だけではなくて、中高生のビッグバンドジャズのコンテストでもそうです。
明らかに編成としてのパート数が足りていない状態で出場されている学校がたまにあります。

ジャズなんてクラシックよりもさらに編成に融通が利きやすい音楽。
既成のビッグバンド譜面にこだわらず、アドリブを主体としたラージコンボや、自分たちで少しアレンジを勉強してみるとか、工夫ができるんじゃないかな、と思います。

野球は7人のチームでは出場できませんし、サッカーは5人vs11人では成立しません。

今いる人数で成立することをやる、というのは競技をやる上でも、そして何よりそのジャンルを完成させるためにも基本ではないのかな、と思うのですが、なぜ他ジャンルもある中、あえて完成しないことをやるのか。

やはり、そのような状況の背景には、音楽ジャンルに対する圧倒的な知識不足があるんじゃないのかな、と思います。

これは自分に当てはめても完全にそうだったのですが、中学生の時、僕は吹奏楽しか音楽ジャンルを知りませんでした。

ジャズやロックやファンクなんて、名前を知っているだけで、具体的にどんな編成があり、どんな演奏があるかなんて知る由もありませんでした。

学校部活において、部活音楽が“吹奏楽ありき”で進められていて、幅広くいろんな音楽に触れられる状況が全く無い状態。

音楽やりたいの?はいそれでは吹奏楽部へどうぞ。

というのが多く、結局それって教育としてはどうなんだろうなぁと思ったりもします。

人間一人ひとり、いろんな個性、特性があって、
吹奏楽に向いている人もいれば、オケに向いている人もいれば、ジャズに向いている人もいる。他のことに向いている人もいる。

そんな中、中高生で部活として安定した音楽活動をするためには、吹奏楽部に入るしかない。

そして吹奏楽部にミスマッチを起こし、音楽が嫌いになって離れていく。
そういう人も何人か見てきたので、本当にもったいないな、と思います。

吹奏楽部としてどうしても人数が足りなくなった。
でも、ある程度音楽性を追求した活動がしたい。

そうなったとき、それは今まで取り上げてこなかった新たな音楽ジャンルに挑戦する、むしろ大きなチャンスだと思っています。

幸い吹奏楽には弦楽器以外の大半の楽器がそろっています。
他のジャンルに生まれ変わるためには十分な環境だと思うのです。

そうして吹奏楽以外の挑戦もした上で、やっぱり吹奏楽が良いと思えば、進学、社会人などの次のステップで、安定した環境を見つけて吹奏楽に復帰すればいい。

逆に自分にあった他の音楽が見つかればそちらに移ればいい。

吹奏楽に戻るにしても、一つ違うジャンルを経験している人は、やはり視野が広いです。
自分たちをある種、客観視できる力もあるし、他のジャンルをやることは音楽経験としてきっと無駄にはならないはずです。

少人数吹奏楽部において、音楽として100%が出せない状況に陥っているのにも関わらず、他の音楽を一切見ようとしない、紹介しようとしない指導者を見ると、
少々厳しい表現になってしまいますが、“井の中の蛙”のようなものを感じてしまいます。

そして、他のジャンルを知ってでも、部活としてはできなくても、それでもどうしても吹奏楽がやりたい、という人もいると思います。
(多分僕は中学生のとき、そういう生徒でした笑)

それだったら、学校とは別のクラブチームを作ればいい。

野球やサッカーにはクラブチームがあるのに、吹奏楽にクラブチームがないのはなぜか。

青少年主体の地域バンドとして、音楽専門の指導者や、地域のボランティアなども巻き込んで、オープンな環境で活動をする。

学校単位に縛られず、クラブチーム化することによって、どうしても中央集権化しやすい吹奏楽の構造的特性の中での、顧問の部活私物化(ブラック化)や、その他特有の不条理な文化などもある程度は防げるのではないでしょうか。

(自分が学校吹奏楽部にいた時も、“伝統”という名のもと、音楽的に不合理な文化が盲目的に受け継がれていたりしました、、、)

ちなみにビッグバンドジャズには、まさにそういった小中高生の青少年バンドが神戸、名古屋、神奈川などに存在していて、プロミュージシャンもたくさん輩出している、本当に良いバンドです。

楽器はどうするんだ、という声もあると思いますが、
それから少子化でどんどん学校も減っていくのだから、そういったところの楽器を流用したり、楽器保管庫も、地域の学校の音楽準備室などを地域に開放したらいいのではないでしょうか。

もちろん僕は教育行政のことなんて何も知りませんし、そんなことできてたらとっくにやってるよ、という話かもしれませんが、
それでも学校単位で生徒を縛り付け、他に選択肢がない中、完成しない音楽を無理やりやっているところが多い今の現状はおかしいんじゃないかなぁと思います。

アメリカでジャズが盛んになった経緯として、
不景気で軍隊の音楽隊が解散→地域にタダ同然に楽器が出回る→それを拾った人たち(主に黒人)が見よう見まねで楽器を始める。
というところからきていると言われています。

これから少子化で学校が減っていくことと、この流れには重なるところがあるんじゃないでしょうか。

さて、冒頭の、“どうやったら吹奏楽部の人口が増えると思うか”という問いに戻ると、

増やす必要は全くないし、むしろ今、学校吹奏楽部は音楽に興味を示す中高生を無条件に抱え込みすぎている。
適正規模まで縮小すべきなんじゃないかな、というのが僕の意見です。

それでは吹奏楽文化が廃れる!という方もいますが、
演奏家になり、作曲家になり、吹奏楽文化を作っている人々って、当たり前ですが、吹奏楽が大好きな方々です。

音楽の選択肢が増えたところで、絶対に吹奏楽を選ぶと思うし、
僕もありがたいことに、高校以降、今までいろんな音楽に触れる機会がありましたが、吹奏楽から完全に離れるつもりはありません。

何より、吹奏楽は今これだけの規模になっている素晴らしい音楽です。
たとえ国から弾圧されようが、なくなることはないんじゃないでしょうか笑

最後に、
A、B、Cと音楽ジャンルがあれば、
Aしか知らない人の「Aが好き!」と、
AもBもCもある程度知った上での「Aが好き!」とでは、全然意味が違って来ると僕は思っています。

まだまだ僕も寡聞な身ではありますが、自分は後者でありたいな、と思っています。


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