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今こそ”商店街型経済”を見つめ直す

ちょむです。

ぼくはコーチングや人生、キャリアについての発信を多く行っていこうと思っているわけですが、このnoteでは昔ながらの”商店街型経済”がそれに関わる人々の人生にもたらす有益性について書いていこうと思います!

最後までお付き合いいただけると嬉しいです!

■”商店街型経済”とは?

これはぼくの考えた造語です。

昔は商店街が各地に存在しており、それがその周辺に居を構える人々にとっての生活基盤でありコミュニティとなっていました。
今となっては大型ショッピングセンターなどが各地に建つようになったことも影響してか、商店街にはかつてのような活気は見られません。
ぼくの生まれ育った地元にも商店街と呼ばれるものがありましたが、今となってはシャッター通りとさえ呼ばれてしまっている有様です…。

ここでいう”商店街型経済”とは、昔ながらの商店街において経済活動が活発に行われていた時代を指していると思っていただければと思います!

■”商店街型経済”の現状

先にも少し触れましたが、現在の”商店街型経済”は極めて壊滅的な状況です。

大型ショッピングセンターの台頭やコンビニエンスストアの展開、更にはネット社会の普及に伴って、商店街が提供していた価値はほぼすべてが代替される結果となってしまいました。

今でも活気のあふれる商店街も点々とは存在していますが、いずれの商店街もかつて程の活気はなく、現時点では衰退の一途をたどっていると言っても過言ではないでしょう。

商店街衰退の要因はいくつか挙げられますが、大きな要因としてはその利便性が挙げられます。

商店街型経済においては、わざわざそこに行かなければ欲しいものは手に入りませんでした。

しかし今は、最寄りのコンビニエンスストアにいけば大体のものは手に入ります。
更に最近では、家にいながらスマホを通じたネット注文によって、場所を移動することなく欲しい物を手に入れることも出来るようになってしまいました。

この利便性という要素は、人間の「手軽さを求める」という根源的な欲求をピンポイントで満たすことが出来ているため、商店街では到底太刀打ちが出来ない…というわけです。

■”商店街型経済”の衰退とともに失われたもの

上記のように、現代においてはその利便性は過去と比べ物にならない程に向上しており、それはこれから先の社会においても更に発展していくことでしょう。

それ自体は非常に喜ばしく歓迎するべきものであるわけなのですが、果たしてこの現代の経済構造の変化はぼくたちに便益のみを提供してくれているのでしょうか?
知らないところで何か失ってしまったものは本当に無いのでしょうか…?

ぼくは失ったものは少なからず”ある”と認識しています。

”商店街型経済”が副次的に提供していた”コミュニティとしての機能”です。

”商店街型経済”においては、「経済圏”外”からの資本流入」による「経済圏”内”の循環資本の増加」によって各々が支え合いながら経済圏を形成していました。

商店街周辺に居を構える住人たちが経済圏外から商店街に資本を流入させることで、商店街内で循環する資本の総量が増加し、商店街における商売(アウトプット)のクオリティを高めるといった構造になっていました。

そしてそれに付随して、”商店街”という場所を基軸とした住人と商売人の間で、「顧客と店主」という関係から「人と人」の交流が生まれ、それが商店街の各所で発生することで、「活気のあふれる商店街」という雰囲気を作り出していたのだと思います。

しかしネットが普及した今、商店街にかつてのような交流は生まれなくなり活気を失っていった結果、現在ではそういった機能すら失ってしまっているように思います。

そして商店街がそういった機能を失った今、人々はかつて商店街で培っていたような繋がりを求めて、ネットの中で様々なコミュニティに所属しようと躍起になっているのです。

■今こそ”商店街型経済”を見つめ直す

商店街型経済は不便でした。

しかしそこには確かに「居場所」があり「繋がり」が存在していました。

それは「SNS上でのフォロワー数」でも「”いいね!”の数」でもない、人と人の確かな結びつきです。

今のぼくたちは、利便性を追求していく中で、経済圏がどんどん広くなり、結果として1人1人の繋がりが薄くなってしまいました。

そして薄くなってしまった繋がりの中で、本当に相談したいパーソナルなことを心置きなく打ち明けられる存在(場所)を失ってしまったように感じます。

経済的な繋がりがあるからこそ、「顧客」としても「人」としても向きあえる。

そんな存在こそが「商店街」だったのではないでしょうか?

経済的な繋がりがなければ、それはただの知り合いであり、友人です。

もちろん”商店街”的な意味付けを「友人」などに当てはめることも可能です。
それはそれで問題ないと思いますし、素晴らしいことです!

しかしぼくは、友人にその機能を付属させることは出来ない人種でした。
どうしても気が引けてしまうし、友人とであれば楽しく過ごしたいと思ってしまうのです…。

ぼくのように考える方は少なからずこの社会にいるのではないでしょうか?

ぼくは自分と同じような考えを持っている方にとって、昔ながらの”商店街”のような立ち位置で、経済活動があるからこそ生まれる特異な立場の存在として寄り添い続ける事のできる機能を全うしてみたいと思うのです。

■さいごに

このnoteでは、自身の目指す在り方の一例として商店街になぞらえて書いてみました。

経済圏外から持ち込んできた資本を経済圏外のものに使うのは決して悪いことではありません。
経済を回す上で消費は必要不可欠なものですし、そもそも消費は楽しいものです。

ただ、自身の経済圏”内”にも消費の矢印を向けてみると、また圏外に向けて消費をするのとは違った面白さや効用があると思います!


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

引き続きよろしくお願いいたします!

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