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優れるな、異なれ

こんにちは、ちょむです。

心身ともにMaxで疲弊していたときに比べて、かなり状態も良くなってきた今日このごろ。

最近は「このタイミングこそ”自分自身を見つめ直す時間”」と割り切って捉えて、自分自身がこれまでやってきたこと、出してきた成果などなどを棚卸しして過ごしています。

そんな中でふと思い出したこの言葉。

優れるな、異なれ

過去回想も兼ねて書き連ねていきます。

出会ったときの衝撃

学生時代からすごく意識していた言葉だったにも関わらず、最近は全然この言葉に触れることが出来ていませんでした。

初めてこの言葉に出会ったのは確か大学生のとき。
その時の衝撃といったら、本当に「ズドオオオン!!」って感じ。

受験勉強やら部活動やら…、生き残るためには勝つしか無いという競争社会の中で生きてきた10代。

そんな社会には違和感を覚えていたものの、コレといった打開策を持ち合わせているわけでもなく「そんなもんだよな…、これを受け入れられないってことはきっと自分は社会不適合者なんだろう」とすら思っていました。

順位を上げることが大事で、誰かよりも優れていることを証明することでしか価値を示すことは出来ない。
だから自分は苦手なことややりたくないことであってもなんとかしていかなくちゃいけないんだ…!

そんなことを考えモヤモヤした人生を送っていた中で出会った、「優れるな、異なれ」ということば。

刺さりましたねぇ。
(ついこの前まで忘れていたけれど)

感動しましたね。
(ついこの前まで忘れ…ry)

そう言えばこの頃からです。
他人の正解を自分の正解にしようと思わなくなったのは。

そして「如何にして他人と異なった自分であれるか」を真剣に考えるようになったのは。

このときからぼくの人生は動き出したんだと、今振り返って思います。

ことばは人生の指針になる

自分が心を壊しかけて気がついたことがあります。

それは「自分が自分以外になろうとしたとき、人は簡単に壊れる」ということです。

ぼくは身を持って体感しました。

自分は自分以外の人間になることは出来ず(スペックという意味で、です)、ましてや自分に元来備わっていないものを求めて無茶な活動を継続的に行おうとすればたちまちおかしくなってぶっ壊れていく訳です。

何をしていても、絶対にブレてはいけない芯が人にはあります。

その芯をことばにして持ち続けること。
そしてどんな時であっても、それを手放したり、置き去りにしては行けないということ。

この小休憩をいただいた時期に、改めて強く感じた出来事でした。

自分が自分じゃないように感じてしまうとき、それは大体の場合、自分が自分であり続けるために手放してはいけないものを手放してしまっているとき。

このことばをもう2度と手放さないように、心にガッツリ刻みつけてこれからの人生を歩んでいこうと思います。


さいごまで読んでいただき、ありがとうございました!

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