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心のバリアは越えられるのか

一昨年の春、伊是名夏子さんのブログが炎上した。

電動車いすで出かけた来宮の駅に、エレベーターがなかったことで起きたことの顛末が発端だった。

伊是名さんは、毎週日曜日の中日新聞にコラムを書かれている。

あの騒動以前から読んでいたが(実際はちゃんと読めていない)、どうしても理解できない「見えない壁」を感じていた。

それが自分でも表現できず、日曜の紙面を見るたびモヤモヤした。
もしかして、私は障がい者に対する偏見があるのだろうかと自問自答した。
わかりたい気持ちはあるのに、彼女のコラムを読むたび嫌な気持ちになる。

炎上してもコラムの掲載を続ける中日新聞が、障がい者への理解を強要しているようにさえ思えた。

読まなければいいのに、やはり理解したい思いもあって読み始める。
そして途中で嫌になって読む気がなくなる。

そんなコラムが、今週は少し違う内容だった。

「夫とのパートナーシップに悩む毎日です」と始まっていた。
しかしその直後、個人の問題ではなく社会全体の問題だと書いているのが、彼女らしいところだ。

働き方改革はまだ途上にあるけれど、30年前と比べたら大きく変わっているのだ。

そして気づいた。
彼女の考え方に共感できないのは、すべて自分以外の責任のように書いているからだ。
実際そういう方なのかどうかはわからないが、コラムからはそう感じられるのだった。

以前《フキハラ》という言葉を言ったのも、彼女だったと思う。

仕事から帰宅した夫が、何も言わず不機嫌なのはハラスメントだと。

そうかぁ~~~!?と思った。


仕事で疲れて不機嫌な日は誰にもあるだろう。
クタクタで帰宅して不機嫌な理由がわからない、それはハラスメントだって、ちょっと違うんじゃないか?と思った。

もちろん一日家にいる主婦だって、不機嫌な日はよくある。
(30代までの私)

毎日が不機嫌ならモラハラってことがあるかもしれないけれど、たまの不機嫌くらい許してやったらどうや~。(どこかで聞いたせりふ)

今日は嫌なことがあったんだろうなと、そっとしておくとか、それとも「今日は疲れた?」って優しい言葉をかけるとか、何かあるでしょう。

家庭生活を見ていないので間違った想像かもしれないけれど、不満ばかり並べてしゃべる妻が家にいたら、帰るの嫌になるって。

大口あけてコタツで爆睡している妻の方が、ずっとマシではないか。
(私のことです。正直に)

彼女が住みやすい社会を目指す思いは、素晴らしいと思う。
でも、お金や人の問題で叶わないことだっていっぱいあるのだ。
それを、社会が悪い、なんとかしよう!って…。

もちろん主張しなければ何も変わらない。
でも、伝え方の問題もあるんじゃないだろうか。
理解してもらうために、共感を得られない攻撃的な書き方では、読む気をなくしてしまうのだ。

今回のコラムで「頑張りすぎていました」とあった。
「つらさを見ないようにしていました」とも。

「パートナーシップをおろそかにしていた自分を責めそうになります」って、そこからだよー!と言いたい。

障がいがどうのこうのではなく、自分の主張をするならパートナーや相手の気持ちにも思いを至らせてほしい。
それを求めるのは間違っていないと思うんだけれど。


《オマケ》

今日お風呂の排水溝を掃除していて、四つん這いで手を奥に差し込んで、ほんとやりにくいと思った。
25年間そうやってきたんだけれど、ふと、こういうのってお風呂掃除したことない男性が考えたんだろうな~と思った。

共稼ぎなら、今の男性もお風呂掃除くらいはするだろうけれど、当時はそういう女性目線が欠けていたのかも。
(今のお風呂の排水溝は、掃除しやすい設計だ)

社会に女性の思いを!
その前に、ちょっともう!水回りのリフォームしようよ!ダンナ。

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