人生を深く生きる
隔週日曜日の朝、オンラインの読書会に参加している。
最近は、休みとなれば夫の実家に走る日々。
休もうかと思ったけれど、2回連続になるし…と、思い切って参加した。
その日のテーマは「人生の深さについて」だった。
深く生きるとは…。
不平不満をグッと噛みしめていけば、広い世界には自分と同じ苦しみに悩んでいる人がいることに気づき、自分の悩みなど大したことなかったことがわかり出す。
そんな内容が書かれている部分を取り上げて、感想を言おうとしたときだった。
不意に、というよりもう号泣する準備はできていた(どこかで聞いたタイトル)のかもしれない。
堪えきれずに顔を覆って泣いてしまった。
clubhouseで顔は見えないけれど、参加者を驚かせてしまったことだろう。
頑固で、いつも私たちの時間を自由に決めてきた義父。
今は病の床にある義父のところへ行き、嘆く義父の手を握り話を聞く自分を、他人は良い嫁と言うかもしれないが、長い間の、私の腹立たしく悲しい気持ちはどこへやればいいの?
そんな自分の思いが、書かれていることと重なってしまった。
言葉に詰まっていると、ひとりの参加者が、
「御手洗さんにとって、いまお義父さんのお世話をされているのは「砥石」のようなものですね」
と言われた。
今の私に、これほど沁みる言葉はなかった。
そうか、長い間、義父のことでは嫌なことや悲しい思いをしてきたけれど、自分が頑張るとき「砥石」が磨いてくれているんだ。
そう思ったら、パッと明るい気分になった。
豊かな心を持つメンバーの中にいることを、心から有難いと感謝した。
その日から、私の心の鞄にはいつも砥石が入っている。
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