見出し画像

家族のためのエッセイ教室

カルチャー教室で、エッセイの講座をやっていたことがある。

ひとに何かを教えるとか、指摘するということが苦手な私に、カルチャー教室の仕事が与えられるとは。
当時は本業も忙しく、思い返してもよくやってたなと思う。
ただ、書いて表現する楽しさを知ってほしい、そんな思いでやり始めた。

長い間、教わる立場だったのが教える側になり、気づくことは多かった。
自分が添削することで、受講者の個性まで奪っちゃうんじゃないかという心配は、やってみると違う感覚になっていた。

課題のテーマにそって書かれる、原稿用紙3枚のエッセイ。
どこかデコボコした作品を、もっと磨いていい作品にしたい!
「ねぇ、ここよくわからないよね」「もっと短くても伝わるよ」という思いで、作者と一緒に試行錯誤する時間だった。

二年半ほどでその教室は閉めることになるが、私の方もいい勉強をさせてもらったと感謝している。

そしていま、添削をするのは夫の作文。
業界誌に載せるものが多いが、これこそ門外漢の私が手を入れたら、本来の姿と変わってしまいそうで恐い。
キリストのフレスコ画を善意で修復したら、お猿さんになったように。

ところが先日、エッセイ風に書いてくださいという依頼があった。
夫の書いたA4の原稿を見るなり「黒い!」と一言。
「漢字多すぎて、誰も読まないよ」と否定的な言葉が、私の口から…。

いや、これは意地悪じゃない。
いいエッセイにしたいという思いで言ってるんだから。

1時間ほどかけて、ようやく読みやすくなった。
でも、最後の一文だけがどうもうまく納まらない。
とりあえず適当に書いておいて、あとで考えることにした。

その夜、お互いの時間がすれ違い、確認しないまま翌朝に。
慌ただしく出かけた夫が、職場でもう一度書き換えて送るだろうと思っていた。

が、帰宅した夫は「育さんやってくれたから、あのまま送信できたよ」と。
ちょっと待て、最後まで読んだんか。
ふざけて書いた最後の一文が、そのままって…。

ゲラ来たら見せてほしい。
あれ以来、フレスコ画のお猿さんが頭から離れない。


スマホで読んでみたら、なんて長いんだろうと気づきました。良いエッセイとは言えないものを、最後まで読んでくださって、感謝いたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?