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サイコーとサイテーだけの世界 (家で★深読み)

「おいおい、その程度で『最低』かよ?」

娘たちが中学高校の頃、私はよく彼らから、
「サイテー!」
と罵声を浴びせられた。

人間として『最低』のことをしたか、といえば、大したことはなく、
「夕食中オナラした」
とか、
「オヤジギャグにエロいトーンが混じった」
ぐらいでこの言われようです。

「それは十分、人間として最低の行為だろ!」
という人はもうここまで、ウチにお帰り下さい。

その程度で最低だったら、こんなのはどうだ!── とエスカレートした隠し芸を披露したいくらいですが、『最低以下』の『地底人』扱いされかねないので、そうもいきません。

時代的には、その頃からでしょうか、スポーツ競技でいい成績だったり、チームの勝利に貢献した選手が「今の気持ち」を尋ねられて、
《サイコーです!》
と言うようになったのは。

もう「お約束」みたいになってしまっている。

プレイする側が、例えばWBCで勝利してインタビューにそう答えるのはまだしも、
スタンドの観客も、呑み屋のTV観戦も、
「サイコー」
と叫んでいる。

《サイコー or サイテー》で、この中間は無い?

なんだか
《1 or 0》
の二進法デジタルの世界ですね。

「白」と「黒」の間には様々なグレイがあり、グラデーションだってあるのだ。

ただし、マイクの前で長々と表現するのは嫌われるだろう。

北島康介さんの
「チョー気持ちいい」
は「サイコー」全盛時代にあって、なかなか新鮮でしたね。
ちょっとアブナイトーンもありますが。

でも、個性は多様なはずだし、個の中にもいろいろな「エネルギー準位」があるわけだし、アスリートも観客も、もっとオリジナルな表現で反応して欲しい、と思うのです。

え? もし私がそんな状況でマイクを向けられたら?
うーん……。

《この星に生まれて良かった!》
なんてどうですかね?
《この星に来て良かった!》
の方が面白いかな?

じゃ、『サイテー』の方は、ですか? 例えば父親が食事中にオナラした場合?

それくらい、許してやれよ!

ま、同じ路線で表現すれば、

《冥王星に追放!》
ぐらいかな?

じゃ、ホントに『人間としてサイテーのことをした場合』ですか?
ま、中身にもよりますが、

《地獄に落ちろ!》

しかし、「夕食中云々」はともかく、もうひとつの例、

「オヤジギャグにエロいトーンが混じった」
ぐらいでこの言われようです。

と書きましたが、これは昨今「ぐらい」では済まなくなり、それこそ、

《地獄に落ちろ!》

『サイテー』で勘弁してもらってた時代はむしろ、ユルかったのかもしれません……。

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