独白。

 

安全な

檻の中で

 

人は

多くを語る。

 

肥大化した

テキストコミュニケーションは

人に

多くを

語らせる。

 

仮面を

被るもの。

 

大仰に

語るもの。

 

飾らずに

吐き出すもの。

 

虚勢も

真摯も

一緒くたに


ディスプレイから

視神経を通り

脳へ

 

自分という名の

フィルタを通し

嫌いは

より嫌いへ

好きは

より好きへ

 

選別され

重ねられていく

 

言葉のみの

履歴が

人格となり

信頼となる

 

大好きな

あの人の文章

 

大嫌いな

あいつのたわごと

 

現実に

目の前にいる

 

あの人や

あいつが

言ったなら

 

同じように

感じるだろうか

 

同じように

受け取れるだろうか

 

【蛇足】

noteはとても優しい場所です。ツイッターとは少し違う。それは「文章」という媒体によるものかと思います。つぶやきも文章ですが、人が「言葉」あるいは「発言」としてはなく「文章だ」と認識する、ある程度の長さを持った文章。

「構いたい」「構って欲しい」ではなく、「表現したい」という気持ちが強くなければ、ある程度以上の文章を書ききることはできません(そもそもその行為に魅力を感じない)。

「文章を書こう」「人に読んでもらおう」という心持ちは、丁寧さとある程度の責任感を生じさせます(文章を滅多に書かない人間が何を言う)。綺麗にしたり、格好をつけたりしても、実際ある程度綺麗に書かれているし、格好はついている。伝えたいことや、想いが自分なりに表現されている。

 そういう意味で、個人的なnoteというものは「手紙」に似ているように思います。決して宛名がないわけではない、誰かに読んでもらうこと、誰かにちゃんと届くことを思って綴られた、手紙。

「表現したい」人たちの集まり、「手紙のようなもの」の集まり。それがこのnoteという場所。だから人が書くものについても概ね好意的に受け取られるし、ちゃんと表現し続ければそれが履歴になり、人格になり、それは信頼と期待を生む。さらには擬似的な、あるいはリアルな関係をも生むでしょう。

私が好きになるnoteのライターさんは、とてもリアルじゃ話せないような自分の感情や、経験を語ってくれている人が多いです。特に自分の感覚から遠い人。普段自分が思いもしないようなことを教えてくれる、追体験させてくれる人たち(いつもありがとうございます)。

苦しみや悲しみ、孤独や妬み、そういった負の感情の吐露であっても、テキストなので比較的すんなり受け止められるし、そういったことを(ちゃんとした文章で)書いてくれる人は(多少の飾りがあったとしても)とても貴重だと思います(毎度ありがとうございます。)。

そうやってnoteの履歴を追ううちに、なんとなくその人の人格が頭の中で固定されていく。

「きっとこういう人なんだろうなぁ」
「ああ、そういう人なのかぁ」

そんな風に思っているうちに、一様に好意を持ってしまう。

でもそれはやはり文章だからで、それがここが優しい場所である所以だと、ふと我に返ると思うのです。


「ちゃんと話してみれば、そうそう悪い人なんていない」

高校の時(今は昔)に友人が発した言葉です。

noteでは装飾の有無に関わらず、みんな「ちゃんと話している」のです。

対して、現実に関係を持つ間柄(職場の人間等)では、「ちゃんと自分のことを話す」という機会は、自分から作らなければなかなか発生しませんし、大体が面倒なので、やりたがる人は多くはありません。

それと比べると、仮に「表現する内容や技術に悩んでいる」というnoteであっても、「ちゃんと話している」し、十分表現されていて素敵です。

大好きなライターさんの言葉を、もし日常にいる(内面を大して知らない)あの人が言ったなら、きっと同じようには感じないだろうな。これはやはりテキストコミュニケーションの力なのだなと、強く感じるのです。

遠い場所だから一歩引いて読める。その人が表現したい部分だけ、綺麗に、あるいは丁寧に表現した部分だけを見ることができる。そして勝手に人物像を創り上げ、妄想できる(笑)。ある意味で、都合の良い、優しい世界。

でも優しくなれることはとても良いことで、多くの場合、良い循環を生む。これは本当に大事なことで、素敵なこと。

私は蛇足でしか自分の内面は出しませんが(出てるって?)、リアルの人格は詩(のようなもの)と同じくらいか、それ以上にフレキシブルな人間です。だから詩もネガからボジ、客観から主観まで・・・と一貫性もなく幅広い仕様でお伝えしております(「適当なだけ」を違った角度て表現してみました)。

私の人格を一言で表現するなら、なんでしょう・・・

「ぐずぐず」あるいは「ぐだぐだ」

そんなところでしょう(この暴露は必要か?)。

ですので、私の書くものは、ピンと来る・来ない、好き・嫌いと、様々に何か感じてもらって、場合によっては妄想してもらって、万が一それが何かのきっかけにでもなれば、びっくり・・・じゃなかった、幸いです。

読んで頂いている方も、書いてくれている方も、いつもありがとうございます。今後(があれば)ともよろしくお願いいたします。

あ、コメントや引用しての感想等(があれば)はご自由に(いや、ない)。
や、優しくなくても大丈夫ですから(だから・・・ない汗)

では。

※お礼参りのような文章なので蛇足付ですが無料でマガジンに放り込んでおきます。(でもやっぱりこういうのが下にあると興醒め・・・え?)



いつも本当にありがとうございます。大切な人をちゃんと大切にすることは、とても労力のいることです。お気持ちや、その手は、どうかお近くの大切な人へ。あと言葉も、是非。