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イヤイヤ期、おめでとう!

ハイハイができるようになったとき。
ひとり歩きができるようになったとき。
おしゃべりが始まったとき。
私たちはとっても喜んで祝福するのに。

イヤイヤ期の訪れは、「あぁ、ついに来てしまった」という反応になる。

しょうがない。だって、すごい大変なんだもの。
今、次男がまさにイヤイヤ期のわたしも、毎日へとへとである。
会社から出て、お迎えに向かうときに、「はぁ」とため息がもれてしまう。

「イヤイヤ期」という言葉はすごくわかりやすくて、そういう時期があるという認知を広げるにはある意味よいネーミングなのだが、どうにも余計にネガティブな印象をもってしまう点は、問題があると思う。

本来は、「イヤイヤ期、きたー!おめでとう!」と喜ぶべき成長なのだから。

とはいえ、わたしも長男のイヤイヤ期が訪れたとき、「なんじゃこりゃ」と途方にくれ、ネットで参考情報などを得る中で、「イヤイヤ期は子供の成長にはとっても大切な過程です」という決まり文句を目にするたびに、「……。そうなんだろうけどさ。そんな綺麗ごと言ってられる状況じゃないよ…!」とちょっとイラついていた。
育休明けて仕事も始まっている中、急にいろんな物事が進まなくなるのは本当にストレスだった。

その後、イヤイヤ期も後半に差し掛かったころ。
あるタイミングで、ふっと力が抜けたことがあった。

保育園からの「七夕の短冊にどんな風に育ってほしいか願いを書いてきてください」というオーダーに対して私は「自分の意見がきちんと言える子になってほしい」と書いたのだ。
それを笹にかざって眺めたところで、なんかちょっと笑けてきたのです。

ははははは。なんだ、わが子はいま、まさに自分の意見をきちんと主張しているではないか?あなたの望み通りではないですか!素晴らしいではないか」と。

今日、私はこのパンじゃないのが食べたかった。
今日は、私は歩きじゃなくて、ベビーカーがよかった。
今は、ママじゃなくて、パパの抱っこがよかった。

イヤイヤするにはなんらかの自分の意志があるのだ。
自分のイメージしてたものと違ったときにイヤイヤが発動するのだ。
イヤイヤ期はまさに、自分はこうしたいという自我のめばえ。
(めばえ期という別名候補もあるくらい)

たしかに、大人からすると「なんでそこにこだわる?」っていう部分はあるのだけど、彼らに芽生えた素晴らしい意志の表明なのである。
そういう視点の変換があってからは、ちょっと気が楽になった。

「いいじゃん。あなたはこう思ったのね!ナイス!」と。

なので、次男のイヤイヤ期がきたときは、夫婦で覚悟はしながらも「きたねー♪ これだよねー!いいねー!」とちょっと余裕をもってイヤイヤ期の始まりを受け入れられた。

自我が芽生え、それを表現することを覚え、叶わないこともある中で、他者にも意志や気持ちがあると気づいていく。本当に、「立つ」、「歩く」と同じくらい画期的な大切な成長である。

これはあくまで私の個人的な視点の変換事件なので、読んだところで、やはり「いや、そうはいってもよー‥毎日辛いぜよ」と思うので、、、わたしなりに実践しているこの時期の対応を引き継ぎ事項として、いくつかほどまとめておきます。
子供によっても違うと思うし、正解はないと思うけど、参考になれば嬉しいです。

・まずは、言語化+共感。

子供視点のロジックで急にイヤイヤが発動するので「え!?なに!?」って混乱するのですが、そこで一呼吸おいて

「嫌なんだね。あ、こっちがいいのかな?あー、これがいやだったのかな。そっか、これがいやだったんだねー。ママはわからなかったんだー。でも、いやな気持ちわかったよー。」

そんな感じで、本人にはまだ表現しきれない「これがいやで怒っている」というのを言語化したうえで、理解しましたよーというのを根気強く言う。

それだけで、落ち着く場合もあるけど、もちろん落ち着かない場面もある。でも、積み重ねていくことで、自分で理由を言語化して言える日が近づくということを信じてやる。

どうしてもイヤイヤの理由が分からない場合もあるけど、そういうときも「なんかイヤだったんだねー」でも言っておく。
この初動をとることで、親の「イラっ」も一呼吸おける効果があると感じている。

・叶えられそうなことは叶える。ゆずれる場面はなるべくゆずる。

明らかに遠回りの道を帰りたいとイヤイヤしそうになったときは、「うーん、遠回りなんだけどなー」と思いながらも、「まぁ、でも数分の違いか」とあきらめる。

雨でもないのに長靴をはきたいとイヤイヤしそうになったときは、「履きたいのー?雨降っていないよー」と言いつつも、「まぁ、でも別に履いてても問題ないか。」とあきらめる。

大人のロジックで合理的に考えたらそうじゃないだろってことも、よくよく考えたらそこまでリスクやデメリットがないかもね!ということが多いので、そういう要求は基本受け入れる。

ただ、ごはんを食べるとか、お風呂にはいるとか、ちょっとそれは危ないからやらせたくないとか、いやこれに付き合ってたら仕事に遅れる!とかそういうどうしても!って場面はあるので、そういうときに交渉や工夫するために力を温存するイメージw

(ちなみに、我が家も今最大の難関は「お風呂はいんなーい。あそんでるからー。」という2歳児をいかに穏便に風呂に向かわせるかである。)

子供的にも意志が否定され続けている状況よりは、自分の意志を認められたっていう体験が溜まってるほうが、イヤイヤが悪化しにくいと思う。

長男のイヤイヤ期にみかけた、「いや、ぶっちゃけ、1日くらい風呂はいんなくても死なないから。この時期はそういう感覚が大切」というツイートを読んでちょっと救われたのも、覚えている。

・3角形をうまく作る

とはいえ、毎日対応しているとこちらもイライラしてくる。
そんなときはうまく3角の関係性を使うようにしています。

自分←→イヤイヤ期の子供という2者で対峙していると、お互い意地も張りやすいので、そこに他者をいれる。

たとえば、パパと子の二人で揉めはじめているときは、ママが「どうしたのー?」と割って入る。「あー、●●ちゃんはこれが嫌なのねー、パパはこう思ってこうしたらって言ってるみたいだよ。」と仲裁に入る。
逆の場合もあり。年上の兄弟がいる場合は協力してもらうのもありだし、祖父母でもいいし、保育園の先生でもいいし、うまくチームワークができるとスルっといけることが多い。

状況によっては、第3者がいないワンオペしている場合も多々あると思うけど、そういうときはパペット人形使ってます。2歳はまだパペットが効きやすいので、ぬいぐるみや人形に仲裁役をやってもらうのはあり。

そういう意味で、産後直後も夫婦の協力は重要だが、イヤイヤ期もかなり連携が必要だということはもっと知られてもいいと思っている。



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書きながら、イヤイヤ期は親にとっても重要な時期に思えてきた。

これまでは親が「この靴を履いてほしい」と思ったら履いてくれてたけど、「これは嫌だ」と言われる。
これまでは親が着せたいと思う服を着せられたけど、「これは嫌だ」と言われる。

コントロール可能で自分の一部のような存在だったのに、急にコントロール不可になる。

自分の思う通りコントロールしようと思えば思うほど、イヤイヤ期は苦しく感じられる。

だから、親にとっても、子供を他者として認識し、意思を尊重するというこれから先の子育てで重要になる視点の芽生えの時期かもしれない。

さぁ、明日も頑張ろう。

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