見出し画像

マイクは大好きなのに、ジュディは愛せなかった理由。

いきなり何の話ですか、とw

えっとですね、モンスターズインクのマイクとズートピアのうさぎのジュディのことなんです。

元々ピクサーファンで、ディズニーアニメは苦手めな私。

でもジョンラセター参画後のディズニーアニメは、一応観るようにしていて、話題になったズートピアも面白くて興味深く見たのですが、、、やっぱり「ファン!好き!」までにはならんですね。

でも、よくよく考えたら、2人がたどる運命ってびっくりするほど一緒なんですよね。

(以下、ネタバレありまくりなので要注意)

モンスターズユニバーシティ(MU)とズートピアの共通構造

1)周囲には無理だと言われた子供の頃の夢を諦めずに努力し、夢への切符をつかむ。(マイクは怖がらせ屋、ジュディは警察官への道)

2)期待した新生活。現実の厳しさにぶち当たりつつも前向きに頑張るが、問題を起こし道が閉ざされかける。(マイクは試験でやらかし学部追放、ジュディは身勝手な捜査でクビ寸前)

3)ラストチャンスをもらい、仲間と共に無理難題に挑み、成し遂げる。(マイクは怖がらせ大会、ジュディはカワウソ探し)

4)が、仲間との信頼がゆらぐ事案が発生し、ふさぎこむ。(マイクはサリーの小細工、ジュディは自分のうっかり発言)

5)自分の弱みを受け入れた上で、再び仲間の真の協力を得て、問題解決に成功!(マイクは人間界からの帰還、ジュディは真犯人究明)

って、ホントぴったり同じ!
物語には型があると言いますが、まさに。

でも、なのに、なぜ愛に差がうまれたのか?、考えてみる。

マイクとジュディの違い

1つ目。
実は私、すでに1)のところで「このウサギどうも好きになれん」と思ってしまってw、マイクは「かっこいい!怖がらせ屋になりたい!」という実に子供らしいピュアな気持ちなのに対し、ジュディは「世界をよりよくしたい!」とかなんかいかにも正義らしいことを言ってて、しかも、警察学校では肉体的にも辛い中、かなりストイックに努力するんですよね。「うわぁ、私はこんなにできないかも~」って思っちゃったんです。一方、マイクが大学に入るまでにしたであろう努力シーンは端折られてます。

2つ目。
3)の仲間と困難に立ち向かう中で、マイクは「みんなの良さを生かせば強いチームになる!」という大きな気付きを得るわけで、夜の工場見学を提案するあたりから、その気づきにいたるところは「マイク、すごいな」とちょっとリスペクトを感じます。が、一方ズートピアではジュディは一途に頑張るけど、「まだ時間はある!探そう!」というのはニックだったりして、あまり「ジュディすげー」にはならないわけです。

そして、3つ目。
4)のところで、裏切るのはMUではマイクではなくサリーであるのに対し、ズートピアではジュディ自身です。無意識に差別的発言をしてしまいニックを傷つける重要なシーン。しかも関係修復方法は「ごめんなさい」と単純に謝るw。いや大事ですけどね、謝るって。


と、ここまで考えて気付くのが、ジュディを愛せなかったのは作り手側のあえての思惑でもあったんじゃないかってことですね。

このズートピアの最後の重要な視点の変換、つまり“差別されていると思ってる側が差別しちゃってる”という観客の気づきにむかうためには、ジュディはうさんくさいくらいの正義である必要があり、素直に突き進むだけの存在である必要があり、どこか見ているひとに引っかかりを残しておく必要があったんじゃないか、と。(考えすぎですかね?)

モンスターたちの愉快な世界観の中で、普遍的な仲間との友情や個性とチームワークを描くMUと、動物たちの愉快な世界観の中で、"バディもの"の面白さを借りつつ、差別や偏見といった社会問題を描くズートピア。

物語の構造は同じでも、コンセプトの違いで、キャラの見せ方が違ってくる。物語作りは深いなぁ、と思った次第です。

#考え事 #映画 #ピクサー #ディズニー #ズートピア #モンスターズユニバーシティ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?