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どんなモードでも、血がピンク色でも。

宇多田ヒカル、新アルバム『BADモード』を聴きながら、
今は疎遠になってしまった古い級友のことを思い出した。

出会ったのは、留学先のソウル。同じ教室で学んだ。
彼のルーツは韓国だけど、オーストラリアで育ち、大学はアメリカで通っていた。
飄々としていて掴みどころがなく、人見知りはしないけど、だれかと親密になっている様子はない。みんなでわいわい話しているとふと輪にはいってたりするんだけど、またふと気づくと消息不明。そんな奴。

なにかの授業中だったか、彼がぽろっと言った言葉が忘れられない。
「僕は、オーストラリアにいても、アメリカにいても、ここにいても、ホームとは感じない。いつだって”外国人”、、、」

席に座ってきいてたはずだけど、身体が宙に浮いた感覚だった気がする。
真っ暗の無重力の宇宙の中、独りでいるイメージ。今思おうと、よく言葉にしてくれたなと、思う。

そんな彼とわたしの共通点がひとつだけ。

宇多田ヒカルの歌が好き。

何度が会話した。どの曲が好き?とか、新譜は聴いた?とか。

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『BADモード』というタイトルは、英語でも日本語でもない。
あくまでHikkiの造語。

これまで「宇多田ヒカル」と「utada」と2人格に分けていた時期もある彼女が、融合して別の形態に進化したことを象徴しているのようにもみえる。
おんなじ<わたし>じゃん、と。

※実際にで日本語verと英語verが入っていること以外にも、明らかに「気分じゃないの」「Somewhere Near Marseilles」あたりでは、1曲のなかで、同じ意味のことを両方の言語で表現しているのはこれまでと違うアプローチだと思う。

<わたし>

そう、今作のテーマは自己愛だと本人も語っている。

ノッているときも、落ちているときも、わたし。それでいい。
いびつなわたしも、まっすぐではないわたしも。
そんなわたしで、なにがわりぃ。
まわりはきにしなくていい。
わたし自身がわたしを好きでいないと。


だから、気分じゃなくて、歌詞かけなかったら、今日あったこと書いちゃえばいいし。


【自己への肯定】

当初、タイトルが『BADモード』だと発表されたとき、「え?だ、ダさい?!」っていう声もちらほらあったけども、
ダサくてなにがわりぃにつながるから、やっぱりこのタイトルは色んな意味でこれしかないと思う。

彼女と一緒に年を重ねてきた私は、
20代のころ頑張りどころでは必ず「Fight The Blues」を聴きながら、

クヨクヨしてたら敵が喜ぶ
男も女もタフじゃなきゃね!

宇多田ヒカル「Fight The Blues」

と、自分を鼓舞して仕事していた。コンペ提案の日は胃が痛くて、それでも、これを聴きながら鎧を着こんで向かっていた。

40代が見えた今は、『BADモード』がアルバム全体を通して優しく応援してくれる。

うーん、応援というより肯定。許容。

でも子育てしていて思うけど、最上級の応援は、やっぱりどんな状態も肯定することだなと。

あのころ、”こらえた涙はぼくの一部”と 必死に内側にためて堪えてたけど、 
今は”失くしたものは もう 心の一部でしょ” と自己を開いて前をむく。
開くのは怖いけど。向きあう。死ぬまでそうやって生きてく。

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ウタダの、新譜はきいた?

彼は、このアルバムを耳にできているだろうか。
どの国にいたとしても、どんなモードでも、
まずは生きていてほしくて、彼の心にも届いているといいな。


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