心が痛い思い出。

息子が年長だった年の発表会は最悪だった。年長さんは演劇を披露することになっていた。

療育に通い始めて2年ほどが経った頃で、「嫌な気持ち」「やりたくないこと」は、言葉で伝えようと練習を重ねている中でのことだった。徐々に、逃げたり隠れたりするではなくて、やりたくないと言葉にすることができるようになっていた。(やりたくない気持ちにもいろいろあるが、それはまた別の話。)

その日、彼は、舞台に立ちたくないと確かに言った。

練習はちゃんと参加していたらしい、当日の着替えも終えていた。列に並んで次の出番を待っていた。私を見つけた彼は、近づいてきて小さな声で言ったのだ。「やりたくない…。」

着替えを終えている。前日のリハーサルにも参加した。先生は、やらせたいと言っている。もしかしたら、雰囲気に怯えているだけかもしれない。みんなと舞台に立つ経験が何かプラスに働くかも。やってみたら案外楽しかったことがこれまでだってたくさんあった。・・・。

やらせてみてもいいのかも、そんな気持ちになってしまった。大丈夫だよ、と送り出したのは、私だった。

果たして、舞台上で固まる息子がいた。半分笑った顔をして、持ち場に立つ。この、半分笑ったまま、というのがひどくこたえた。されるがままに、お友達に手を引かれてはけていく。そんな彼を息をつめて見つめながら、涙がぼろぼろこぼれた。

終わったあと、先生は、みんなと一緒にできたね、と褒めてくれた。私には、「みんなと一緒」がそんなに褒められるべきことなのかわからなかった。あのとき、やりたくないって伝えてくれたのにやらせてしまったこと、それだけを悔いた。褒められて本人は、また薄く笑っていた。もうどうしようもない。がんばったね、と声をかけ、ぎゅっと抱きしめるしかなかった。

「同じ場にいられる」ということはひとつのステップなのかもしれない。「みんなと一緒にがんばる」ことも大事なのだと思う。ただ、彼にとってそのときがそれにチャレンジすべきときだったのか。もっと段階を踏んで、積み重ねなくてはならなかったのでは?しかし実際のところ、その見極めは、誰にできるだろう?

今も、思い出すと胸がぎゅっとなる。

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