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息子が怪我をして帰宅した日

その日、夫と息子は一泊二日、いわゆる男同士の二人旅に出かけることになっていた。息子は三歳三か月。二人きりでのお泊り旅行は初めてのこと。念入りに準備をし、その日を迎えた。七月、晴れて気持ちのいい朝だった。

私は久しぶりにひとりで過ごす休日に内心浮かれはするものの、出かけたい場所も思いつかず、うちでのんびり過ごそうかなあ、とぼんやり考えていた。ストンと着られるコットンの黒いワンピース――何年か前に購入したもののなかなか着る機会がなかった――に着替えて、二人を見送る。

初夏の青空。窓を開けて風を招く。やっぱりうちにいよう。そう決めてコーヒーを淹れた。

二人の旅行は、熱海からフェリーに乗って、神津島へ渡り、そこで一泊して翌日帰宅する、という計画だった。うちを出発して数時間後、ふいに携帯電話が鳴る。出てみると夫である。フェリーで頭を怪我した息子を連れて病院に来ており、この後、帰ることにしたという。駅まで迎えにきてもらえるか、とのことだった。それはよいが、一体何が起こったのか。詳細を聞けないまま電話は切れた。

帰宅後、聞いた話はこうである。

息子は、フェリーで眠くなり、座席に寝転がってぐずぐずしていた。高速フェリーの椅子は金具で床に固定されている。最初の停船先である大島を出たところで、椅子から転がり落ちた息子は、その金具で後頭部を切った。傷口からひどく出血し、持っていたバスタオルで止血しようとしたものの、タオルが赤く染まるだけで一向に血は止まらない。夫は息子を抱いて、乗務員室へ行き、止血用に何かもらえないか尋ねた。驚いた乗務員さんは状況を確認し、救急車を要請するという判断を下す。船は大島へと引き返し、港で待ち受ける救急車に乗せられて病院へ。そこで四針縫ってもらい帰路に就くことになった——。

二人が帰ってくるまで私はどうしていたのか、まったく覚えていない。帰る、と言われたのだから、帰ってくる、だから待つしかないと思ったことだけは確かだ。うちにいることにしてよかった、と思ったことも。

果たして、夕方四時を過ぎた頃二人は最寄り駅に到着した。息子は案外ケロリとした顔で、車に乗り込んできた。ほっとした。夫をなじりたい気持ちがないわけではなかったが、憔悴しきった顔を見ると責めるより労う気持ちが勝った。その場にいたのが自分でなくてよかった、と思いさえした。

帰宅して、血を吸っているのであろう、ざらつくティシャツを脱がせる。幸い、濃紺色のティシャツはシミを隠していた。ぬるい水に浸すと、見えなかった血の色が、すすいでもすすいでも滲み出てくる。鉄のにおいが鼻についた。急に怖くなった。生きて、ここにいることは、当たり前ではないのだと、心が理解した。小さい人は簡単に命を落とし得る。ひやりとした感覚が背筋を抜ける。

窓の外はゆっくりと暮れ始めていた。風は優しく吹いている。庭の草がさわさわと揺れる。いつの間にか、浮かぶ雲が灰色に影を抱いて金色に光っていた。だんだんと焼けて、空気は桃色に染まった。とても不思議な色だった。息子を誘って外へ出ると、月がうすく浮かんでいた。

生きて今、ここにいること、穏やかに一日の終わりを眺めていられることをしみじみと思った。息子の手を握ると温かかった。何も話さないで、ふたりで、じっと空の色が変わっていくのを眺めていた。眺めながら、私が黒いワンピースなんか着ていたからよくなかったんだ、と悔やんだ。

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