⑨[病気の壁を越えて~ルワンダでの新たな奇跡の始まり~] 二度目のルワンダ渡航
前回の投稿で、自分の中では人生最後の旅だと決めて、アフリカのルワンダに行ったというところまではお話ししました。
今回は、今のテーマの最終回、二度目のルワンダ渡航が始まってから、現在までのことをお話しします。
キラキラした人アレルギーだった初めの一か月
KISEKIに滞在しに来られる方は、皆それぞれ目的をもってこられます。やることまで決めて来られる方も多いです。
そんな中、帰国後に死ぬことしか考えていなかった私に、当然目的なんてありませんでした。
おまけに、みんなのようにやりたいことすらない。
強いて言えば、最後の旅をなるべく楽しむこと、それだけでした。
そんな私だったので、キラキラした人を見ると、なんでこの人はこんなにも人生楽しそうなんだ、と理不尽に怒りを感じジェラシーを隠せませんでした。
そして、嫉妬したかと思えば今度は自己嫌悪。
それによってまた発作が起きる。
こんな最悪なループを、最初の一か月、いやそれ以上の期間繰り返していました。
今思うと、本当に性格の悪いやつでした。
それでも、ナーサリーで子どもたちと遊ぶ分には、心から楽しめていました。
何もプロジェクトはできない私でも、日々子どもたちに寄り添って、遊ぶことはできたのです。
こんな私でも、この子たちは許してくれるんだ、一緒に遊んでくれるんだ、初めてナーサリーに行った日にそう思ったのを覚えています。
緊急帰国になりかけた事件
そんな風に日々を送っていたある日、KISEKIではトレーニングセンターという裁縫の職業訓練校の卒業式がありました。
私は、トレーニングセンターの人たちのことが大好きで、彼女たちの晴れ舞台を見るのがとても楽しみでした。
しかし、前日のミーティング中、発作が出たのです。
そのことを知った母親から、卒業式には出ないでと連絡があったのは卒業式当日の朝でした。
キテンゲの服を着て、張り切って会場に向かおうとしていたちょうどその時でした。
今考えると、いつ失神するか分からない人間が、人の晴れ舞台に出席するというのは危険で、母が必死に止めたのも理解できます。
そして、今なら、あの時出席しなくてよかったと思えます。
しかし、その当時の私はそれに不貞腐れ、最悪の気分で会場の外から卒業式の音を聞いていたのでした。
その日の夜、母親から、日本に帰っておいでと連絡がありました。
アフリカに行っても結局発作が収まらなかったことを母は知っていて、心配していたのです。
そして、卒業式の一件で落ちこみ、不貞腐れていた私は、今すぐ帰るよと意地になって答えたのでした。
やっぱり大好きだったアフリカ
しかし、その日の夜中、猛烈に後悔が湧いてきたのです。
そして、やっぱり絶対に帰りたくない、もっとルワンダにいたい、次の日の朝にはそうCEOの山田さんと母に伝えたのでした。
意地になって一度帰ると言ったのに、一日も経たずに残りたいって言うなんて本当に恥ずかしかったですが、そんな恥ずかしさよりもルワンダにいることの方が優先したかったのです。
この緊急帰国になりかけた事件をきっかけに、私は、自分がいかにアフリカが大好きなのか再認識できました。
二度目の誕生
ルワンダに残ることは決まっても、お先真っ暗なことに変わりはありませんでした。
そんな時、その当時ルワンダに滞在されていて、緊急帰国になりかけた事件のことも知っている方とお話しする機会がありました。
この旅を最後に死のうと思っている、そう話したらその方は、じゃあ一回死んだつもりで、生まれ変わったらいい、そう言ってくれたのです。
この言葉で私の人生は一気に変わりました。
死のうと思っていたくらいだから何も怖いものはない、二回目の人生だと思ってやりたいこと、自分が幸せになることだけをしたらいいんだ、そう思えるようになったのです。
こうして私はその方とお話しさせていただいた日に、二度目の誕生を果たしました。
今のお話
当たり前ですが、心では生まれ変わったものの、体はそのままです。
だから完全に病気が治ったわけではなく、今でもチック症状は残っていますし、過呼吸まではいかなくても発作が起こりそうな感覚がするときはあります。
いつまでも数字にはこだわってしまいますし、起こりえないようなことを想像しては怖くなります。
しかし、最近ようやくそんな自分を受け入れられるようになってきました。
どうせ何をやったって魔法のように突然病気が治ることはない、だったらやっていて楽しいこと、幸せなことだけを今は追いかけようじゃないか、そう思えるようになってきたのです。
トレーニングセンターの卒業式に出られなくて落ち込んでいたあの日をきっかけに、私は少しずつ前を向けるようになってきたのです。
そして今、こうして私は自分の経験をこのnoteで発信しています。
こうやって発信しなければただの悪い思い出だったものが、noteを始めたことで、誰かが「こんなやつでもここまで回復できたんだ、自分も少しは希望を持ってみようかな」、なんて思ってくれるきっかけになれば、そんなに幸せなことはないです。
そして、日本で生きづらさを感じている方々に、少しでも希望を持ってもらえるきっかけを届けるために、これからも私は自分の幸せを追い求める姿を発信していきます。
病気の壁を越えて~ルワンダでの新たな奇跡の始まり~というテーマでお話しするのは今回が最後になりますが、今後はもっと元気で前向きな自分で、近況などを発信していけたらなと思います。
全九回にわたる長い長いお話、最後まで読んでいただきありがとうございました。
また別のテーマにはなりますが、ぜひ次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。
これからも宜しくお願い致します。
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