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さよなら、西千葉。【2020年塩谷的10大トピック②】

私が4年間の学生時代を過ごした街、西千葉。
2020年3月に、ついにこの街を去ることになった。

長いようで短い、でも今までの人生で一番濃い時間を過ごした思い出深い街との別れは、今年を振り返る上では重要なトピックだ。

初めての一人暮らし

私が西千葉に越してきたのは2016年3月。センター試験を終えいよいよ迎えた千葉大学の入学試験を受けている時、付き添いで来ていた父が部屋を決めていた。合格したらここに住むから、と。受かったので、そこにちゃんと住めた。

狭くもなく、洗濯ものも干せるバルコニーがあり、冬になれば遠くに富士山が見える部屋だった。なかなか悪くない。ただ、一つ文句を言うなら、台所に調理台のスペースがなく苦労した。それでも、4年間しっかり自炊で通した。イオンの火曜市で、賢くお買い物をする術を身に着けた。

学生時代のごはん。今でもこんな感じ

4年間、ちゃんとアルバイトもした。ファミマの定員時代、忌々しい思い出だ。嫌なおっさん(同じシフトに入った学生が皆やめていく)と、4年もよく頑張った。ずいぶん稼がせていただいた。でも、忌々しいのは、自分の物覚えと要領があまりにも悪かったのも原因だった。本当に、自分は社会不適合者だと思っていた。けれど、今は何とかギリギリ社会人として働けているので、たぶん大丈夫。なのか?

いるよね、ファミマなのにポンタカード出すやつ


初めての大学生活

母校である千葉大学文学部は第一志望校だった。他にも選択肢はあっただろうが、「近世文化とアイヌ文化を学びたい」と思ったのが理由。別に北海道を出てみたいわけではなかった。でも、落ちたら人生が終わるような気がするほど、この学校に入る以外に道は考えられなかった。ちなみに、落ちたら大泉洋や安田顕の後輩になる予定だった(北海学園大学)。

無事合格し、夢のキャンパスライフ。とはいえ、近い親類に大卒の人間がいなかったので、大学がどんなところなのかをそもそもよく知らなかった。

最初のころは、本業である文学部で研究を頑張ろうと思っていた。近世文学とアイヌ文化の授業は裏番組で入っていたため、最終的にはアイヌの勉強をした。けれど、本業そっちのけで副専攻の地方創生・まちづくり分野を頑張ってしまったため、あまり身にならなかったように思う。今になってとても後悔している。とはいえ、副専攻を頑張ったことは全く後悔していないどころか、今に直結するものなので仕方がなかったと思うしかない。二兎を追う者は一兎をも得ず、なんて。ちなみに、学生時代は1つも単位は落としていない。そして卒業できたから、いいことにする。

卒論中間発表のレジュメ。けちょんけちょんにやられた

西千葉で過ごした時間のこと

この街では、とにかく色んな人に出会った。高校時代は思春期をこじらせてしまって友達が全然いなかったが、大学に入ってからは人と関わることが怖くなくなった。何というか、なんとなくチャンネルの合う人たちに出会えた感じがする。男子がちゃんと会話できる生物であることを知ったのも大学に入ってからだ(どんな中高時代だったんだ笑)。

入学当初は同じコースの同級生たち、サークルの仲間たちと過ごす時間が圧倒的に長かった。私と同じく地方から千葉へやってきて一人暮らしをしている友人のところにもよく遊びに行った。西千葉にとどまっている時間が多かった気がする。

ジャズ研のセッション中

翌年以降は地域活性化に興味が高まり、行動範囲がぐっと広まる。千葉市の登戸という地区のお囃子連に入ったり、銚子市に通いつめたり。そして一人旅の面白さに気づいてしまい、回数は少ないながらも県外に旅に出た。そして、学生団体に入ってからは地域の大人と知り合うことの方が多くなった。一方で、コースやサークルの仲間たちとは少しだけ疎遠になってしまったような気もしている。そんなことはないかな。

何度もお世話になっている銚子駅

そういえば、大学4年生になるとお気に入りのカフェができてよく行っていた。もう閉店してしまったらしいけど。何せ外食はそんなにしないので、行きつけの定食屋がある感じではなかった。あ、いやサークルのときによく一元という中華料理屋?定食屋?に行ったな。懐かしい。女子会の定番だったケーキ屋さんのル・グレとか超懐かしい。

みんな大好き一元


いよいよ引っ越し

引っ越し作業は、実は自分ではやっていない。塩谷家の"お掃除大魔神"こと母が掃除から何から全部やってくれた。いや、やらせてしまった。理由はひとえに「やることが終わっていなかった」からである。

卒業間際、大学4年からはじめた「ながらこまち」の活動の集大成として、小冊子を作ったり千葉日報での連載記事を書いたりと、やることが立て込んでおり引っ越しどころじゃなかった。いや、実際はそれらの作業に手を付けるのが遅かった自分が悪いだけなのだが。

北海道から召集された母は、部屋を片っ端からきれいにし、荷物を段ボールに詰めていく。その母を背に、私はひたすらPCに向かい書き物をしていた。余裕がなさすぎて、母には申し訳なかった。

それにしても、思い出深い部屋だ。振り返れば、良いことも悪いことも色んなことがあった。家では鍋パもしたし、ケーキもつくったし、流しそうめんもした(!?)。飲み会終わりだったのか、友人たちが雑魚寝していったこともあった。当時北海道にいた高校時代の友人が就活で東京に来ていた時に泊めたりもしたっけ。

そんな部屋も、今や空っぽになり、声がよく響く。カーテンが取り外された窓の向こうには、家々と、青い空と、京成電鉄の線路。この景色とも、もうお別れだ。

ついに東京での生活が始まる。就職先が学生時代からインターンで通っていた会社なのである意味新鮮さはないが、やはり気が引き締まる思いがした。

ありがとう、千葉大学。さよなら、西千葉。

さよなら、ぽ亭(と呼ばれていた)

余談

これと言って取り柄のない私だが、大学卒業時に課外活動部門で「学長表彰」をいただいた。これまでの活動を支えてくださった方々への恩返しになるような気がした。

が、実は問題がある。何の名目で表彰されたのかわからないのだ。

多分、2019年の大雨被害を受けた長柄町での活動の関係だと思う。けれど、それが多分のレベルでしかない。毎年千葉大のHPに表彰者が掲載されるのに、平成31年度の分は今だに更新されないまま。

誰か、教えてください。笑

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