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「ながらこまち」が生まれた日【インスタ日記を振り返るvol.2】

私は「口に出した願いは何でも叶う」と信じている。冗談抜きで、本気で信じている。というのも、事実として口に出して宣言したことの多くが実現しているからである。その中でも、私にとって「ながらこまち」を始めたということはその代表格ともいえるものだ。

ながらこまちは広島県で生まれた

「ながらこまち」という言葉がこの世に始めて出てきたのは、2019年3月のこと。いや、嘘だ。これよりも前に、長柄町では同名のお米を生産していた。けれど別に怒られたことはないので、気にしない。

この企画について話したのは、広島県世羅郡世羅町と言う所に視察に訪れていたときのことだ。当時、2019年の千葉大学と長柄町、町内事業者の共同プロジェクトとして特産飲料の開発をすることが決まっていた。この教育機関と地域の事業者の共同事業として特産飲料を開発した事例というのが世羅町という所にあったので、大学の先生に連れられてこの町を訪れた。

一通り視察が終わって夜になり、先生にかねてから温めていた「ながらこまち」の企画について話した。「とりあえず企画をまとめて」と言われた。

その頃にはインターンシップでクライアントに出す企画書を制作することも経験していたので、すぐに資料作成に取り掛かった。

世羅町でながらこまちの企画を話した日のことを、私はこう記していた。

なんだか、なかなかヤバい企画が持ち上がった(というか自分から言い出した)ので、ワクワクしています。私が長柄町の何かを変える一助になれば。本気で町のために動けたら、何か起こるかもしれない。


はじまりは、「悔しさ」

ながらこまちはかなり地域密着の活動だ。これくらいのことをやりたくなった原因は、「悔しさ」に他ならない。気性は至って穏やかなのだが、実は負けず嫌いなのだ。

1.にいがたイナカレッジとの出会い
「私はいったい何をしてきたんだ…」
その場にいた大学生たちの姿を見て、私は愕然とした。

2019年の2月末、新潟の様々な地域に入り込み地元の人たちと一緒に様々なプロジェクトに取り組むにいがたイナカレッジに参加した学生たちの集まりに参加した。滞在した先の人と喧嘩になるほどの議論をしたという人、素敵な冊子を作った人、などなど。学生さんがやってきたことは様々だ。どれも私にはできそうにないことだった。

それだけではない、そこで経験したこと、その中で考えたことを自信を持って話す姿が衝撃だった。私はすでに移住ガイドブック作成のために長柄町に毎週通い、会社でのインターンもして、それなりのことはしてきたつもりだったのに、この学生さんたちのように堂々と持論を語ることなんかできなかった。持論なんてものは持ち合わせていなかった。

打ちのめされた私は、その日の日記にこんなことを書いていた。

自分で動いて自分でことを起こした人って、やっぱり自信があるし、考えていることも私の何十倍も面白いんだろうな。自分なんか何にもしてこなかったように思ってしまいます。たぶんそんなことはないはずなのに、あまりにも何も持っていない気がして。

2.あれだけやったのにな…という心残り
そもそも世羅町の視察に訪れたのは、長柄町の2018年に取り組んだ移住ガイドブック作成プロジェクトの後も引き続き関わりたいという希望からだった。ガイドブックができあがったのでさようなら、という選択肢ももちろんあった。しかし、それはしなかった。

ただただ物足りなさと心残りがあった。長柄町に約半年間毎週通って、いろんな人に出会って、いろんなことを考えてきたはずのに、この町のことをいまいち好きになれなかったのだ。

そもそも出会った人というのは町民の中でも「移住者」という限られたカテゴリーの方々でしかなくて、今の私に「長柄町の人間」を語ることなんてできるわけがない。「私はこの町のことを何も知らない」という結論に至った。だから好きになれるはずもなかったんだ、と。

3.生まれ故郷に重なる部分
長柄町を離れて、もっと他の場所で活動するということもできたかもしれない。けれど、この町で何かするというところにこだわった。

好きになることを諦めたくなかった。
それは、私の地元に重なる部分があると感じたからに他ならない。

私の生まれ故郷は北海道の安平町というところだ。有名ではない。けれど、何かとすごい。かつてスピードスケート選手として活躍した橋本聖子、伝説の競走馬ディープインパクトを輩出した町だ。それに、地元で作っている夢民舎のチーズは東京でも普通に売られている。しかも、うれしいことに新千歳空港からのアクセスがとっても良い。

けれど、何もないと言われても仕方がない町だ。見た目的には。

「いんや、なんもなくないしょ。あるんだって。チーズも馬も有名でしょや」と、私は思っている。でも、そんなのは欲目。見た目に華がないのだから、所詮は通り過ぎられてしまうような町なのだ。

そんなところが、長柄町に重なった。

半年通って何も見つけられなかったからって諦めちゃだめだ。この町には絶対好きになれる何かがある。諦められたら、悲しいもの。そう思った。


そんなことではじまったのでした

ながらこまちを始める要因には様々な方面に対して感じた「悔しさ」という感情しかなかった。別に深いものは何もない、ということがお分かりいただけただろう。

私は考えるのがそんなに好きではないらしく、立派な考えを持つことはできそうにない。地方創生を成し遂げるには云々と語るかっこいい人には一生なれないような気がしてきている。

それでも、完璧な理論を立てる前に、ただ「これがやりたいんです!」と宣言し、何となくでも動かし始めたらちゃんと?形になった。もちろん、たくさんの関係者の皆様が温かく見守ってくださったお陰で。本当にそこに尽きる。

「実現したいことは口に出す」、「絶対にうまくいく形を作りきらなくても動かしていく」のが私の原点だったな…と改めて思った。

「よくわかんないんですけど、これで大丈夫なんで!やりましょう!」と押し通す強さを持とう。

…それだけじゃあ、だめなのでしょうけれどね。修業は続くよどこまでも。

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