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私の言う可愛いは、愛おしいって意味だよ

私はよくカワイイと言う。ものに対しても人に対しても、性別問わず。そんな自分にとってのカワイイについて。

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可愛いとかわいいの私的使い分け

私が使うカワイイは大きく分けて2パターンある。単純に見たものに対してかわいいという意味で使うこともあれば、特に誰かに言うときは愛おしいの言い換えとして使うこともある。話してるときには文字は見えないけど、前者は「かわいい」後者は「可愛い」を思い浮かべている。
かわいいって、主に外側からわかるものを対象とするから、他の人に各々の基準で勝手に決められてしまうことが多いように思う。その人を見てわかることなんて一握りで、そんな一握りの情報を言語化することが縛りになることもある。私だってパッと見てかわいいと言うこともあるし、別に悪いことではない。でも、かわいいは本当は自分のためにあると思うのだ。誰かに判断されることじゃなく、それぞれの人が、自分のために使う言葉であってほしい。
愛おしいは、内面も含めて対象とする言葉だと思っていて。ちょっと極端だけど、初対面の人に対してかわいいと思うことはあっても、突然愛おしい!と思うことってない気がする。相手のことを知った上でこそ愛おしいと思えるし、それはなかなか貴重なこと。だからせめて、考え過ぎかもしれないけれど、私が渡す可愛いはできるだけ愛おしいの言い換えで、と思っている。


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可愛いと思ったらそれはもう沼の中

これは、長年オタクとして生きていて強く思っていること。最初、歌番組とかで見てかわいいなーかっこいいなーと薄ら気になりだすのが沼の入り口だとして。その後、それまでの活動とかプロフィールとか雰囲気とか活動に対する思いとか、いろんなことを知っていく中で、あー愛おしい...ってなる瞬間がある。そのときにはもう大体遅くて、振り返ってやっと、沼の入り口がほぼ見えないくらいまで進んでいたことに気づく。そうなったらもうオタクとしては、そのまま沼の中に突き進むしかない。入口に戻ろうとしたこともあったけど、私には無理だった。だから、可愛いと思ったら、それはもう沼の中だと思って開き直ることにしている(?)。自分の中の可愛いが増えるなんて最高に幸せだし、可愛いんだから仕方ない、これは多分オタクの宿命。


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周りの可愛い人たち

私の好物を見つけるといつも教えてくれるパートナーが可愛くてそう伝えたら、男性だからかちょっと不思議そうにしていた。今言った可愛いは愛おしいって意味だよ、と種明かしするのはなんだか照れくさくて、心の中で呟いた。
この前会った友達と、お互い大好きなドラマの話をした。別れた後、インスタのストーリーにドラマの話いっぱいできて幸せだった〜と書いてくれていたのが、可愛すぎていた。
周りには可愛い、いや愛おしい人がいっぱいで、私はいろんな沼の中で生きているのだと思う。そんな愛おしいことの一つひとつを、大事に抱えていたい。

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愛おしい人たちへ、今日もとびっきりの可愛いを。

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