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「前を向け」なんてたやすく言うな

その本を知ったのは、確か9月、近所の歯科医院のテレビ画面で、組まれていた特集を目にした時だ。

適応障害と診断され、休職したての午前11時半。手も足も抜けそうなその憂鬱感たるや形容できないほどだが、いかなる場合においても歯は大事。24年連続虫歯ゼロ賞の偉業を更新し続けている私にとって、3ヶ月毎の定期検診は何があろうと欠かせない。

…とはいえ、怠いもんは怠い。デキる女気取りで意気揚々と午前の早い時間に予約を入れた過去の自分を心底恨みながら、目の前で流れる映像をぼけっと眺める。

なにやら、何かが飛び抜けて優秀な兄と、すべてにおいて平たい妹の話らしい。ははーん、宣伝か。その手には乗らないぞ、面白そうだけど。と、若干惹かれつつも謎目線で見下ろしていた。

その一節がテロップに現れるまでは。

「前を向かなければいけないと言われても前を向けないというのなら、それはまだ前を向くときではないです」

それはまさに、内側で隠れていた私が本当に欲しがっていた言葉だった。

「前を向け」。二度の休職前後、私のHPがゼロどころか地面にぶっ刺さるレベルになっても、体育会系上司にも親にも至極真っ当と言いたげな顔で何度も言われた。
じゃあすぐに前を向けない自分は社会不適合者なのか。そう半永久的に自問自答してみても、ただ自責の念が強まるばかりで答えは返ってこなかった。なのに。

…こんな簡単に出会えていいものか。

気付けば涙袋の上が熱くなって、止める術なく飽ききった味の涙が溢れ落ちてきていた。
おそらく周囲からは、泣くほど歯が痛い可哀想な人だと憐れまれていたに違いない。歯は痛くなかったけど鼻の奥が痛かった。マスクをしていて本当によかった。

いつも何かが欠けている気がしていた。
何かを手にしても誰かに抱き締められても、いつも満たされない。こんなことをしていていいのか。そればかりが脳内を侵食してきていつもしんどい。

でもこの人は違う。皆が深いところで渇望していた優しさを、言葉に変えて与えてくれる人だ。

その直感で、会計後爆速で書店に行き、今は時間をかけてゆっくりと読んでいる最中だ。紡ぐ一つ一つのワードが、相反する登場人物の心の揺れが、私の心の薄皮をちょっとずつ剥いでいってくれるような温かさを齎してくれる。春の陽だまりのように温かくて、悲しい時、何も言わず何もせずただ傍で立っていてくれるような言葉。

有難いことに、まだあと3分の1弱くらい読みかけが残っている。二人がどんな人生を歩むのか、それを知った時私の心になにか変化が訪れるだろうか。少しずつ言葉を吸収していこうと思う。

因みに『ガラスの海を渡る舟』に心をガッチガチに捉まれた私は、またもや爆速で『みちづれはいても、ひとり』と『声の在りか』を手に入れた。

今はそれが楽しみで、読了するまでは一旦生き永らえてみようと思う。

そして最後に、寺地はるなさん、この言葉を届けてくれてありがとうございました。

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