恋愛に関する反省文②

アメブロで文章を書いていた時代に、恋愛に関する反省文というタイトルの記事を投稿したことがあります。

その時から3年以上、時が経っていますが、久しぶりに恋愛について書こうと思います。

※なお、僕のセクシャリティが暫定的には「異性愛」なので、この記事においては当然のごとく恋愛対象のことを「異性」と書いていますが、人によってそこは異なるかなと思いますので、ご了承いただけたらなと思います。

前に記事を書いた時のことを振り返ってみると、自己肯定感の低さを恋愛で埋めようとしていた節があったような記憶があります。恋人ができれば自然と自己肯定感が高まるんじゃないか、みたいなことを考えていました。

その頃から比べると、今は比較的自然に自分を肯定できるようになったかなと思いますし、良くも悪くも恋愛に対して過度な幻想は抱かなくなったようにも思います。

これは、今自分に交際している人がいるというのもあるとは思いますが、それ以上に、当時と比べて対等な関係の友人が増えたということが大きいのかなと思います。

恋愛が人に与える影響というのは、一概にこうと言えるものはなく、どんな人とどんな関係を築いているか、によって変わってくるのではないでしょうか。
自分の場合は、相手が自分と似ている部分がありつつも、自分にはないものを持っているということもあり、恋愛に閉じることがなく、返って恋愛を通じて関わる人が増えたり、自分の世界が広がったということもあり、良い出会いができたなと思っています。


まあ、良かった話はこれくらいにしておいて、今回は反省文なので、ここからは良くなかった話を書いていきたいと思います笑

昔自分がやってしまいがちだったなと思うことを振り返ると、「恋愛に振り回されすぎ」といったところかなと思います。

恥ずかしい話ですが、昔の自分は、ちょっとでも仲良くなれたなと思った異性に対して、闇雲に恋愛感情を抱いてしまう節がありました。

いや、それを恋愛感情と呼んでいいのかどうかも怪しいところですね。「自分はこの人のことが好きなのかもしれない」ならまだしも、「この人は自分のことが好きなのかもしれない」みたいな風に錯覚して、勝手に一人で盛り上がっているみたいなことも多かったので。

ただ、そういう状態になっているときって、もはや相手のことを単なる異性としか見ていないんですよね。もちろん、大前提として「自分と仲良くしてくれている優しい人」という風に捉えてはいるのですが、そこに恋愛対象としての「異性」という要素が加わるだけで、「よし、恋愛だ」という非常に浅はかな結論に辿り着いてしまうところがありました。

これは凄く失礼なことで、その人にある「異性」以外の要素が全く見えておらず、むしろ自分に都合よくその人のことを解釈してしまっていたかのように思います。

「この人なら自分を受け入れてくれるはずだ」

そんな半ば依存的な思いを、相手に投影していました。

まあこれが内心に留まっているうちはまだ、単なる独りよがりで済みますし、自分はどちらかと継続的な人間関係を築くことが苦手な人間なので、大半の場合は、「もっとあの人と会っておけば良かったな」で済むわけです。
ところが、時々、継続的な付き合いをする異性の人も現れるときもあって、その人に対して「告白」をしてしまうことも何度かありました。

でもこれって、いわゆる「自爆的告白」でもなかったりするんですよね。その状態の自分って、もはやかなり盲目的なので、なんだったら「上手くいくはずだ」とか思ってしまってるわけです。

まあ当然、上手くいかないんですけどね笑
単にその人とは、人としての付き合いが継続しているだけであって、そこに恋愛の要素はまるでないわけです。ところが、自分が相手の「異性」にばかりに目が向いているから、なんとなく恋愛のフィールドに持っていけそうだと思いこんでしまっているわけです。

ただ、このような告白が今までに成功したことがない、というのがせめてもの救いだなと思います。
もし何かの間違いで、そこから交際に発展したとしても、お互い傷を負って終わるようなことになっていたかもしれませんし。(もちろん、そこから良い関係を築ける人もいるとは思います。)

結果的に、告白をしたことによって、むしろ関係性を悪くしてしまったり、どこか気まずい関係になって、そこからの発展がなくなってしまうこともありました。

今思えば、安易に恋愛というものに拘らなければ、それとは別の形で、その人とは今でもより良い関係を築けていたのかもしれないんじゃないかと、後悔していることもあります。

なんでここまで恋愛にこだわっていたのか。
振り返ると、僕は恋愛というものをどこか、あらゆる人間関係のなかでも上位のものに置いていたんじゃないかと思います。

「友達に恵まれなくても、一人でも自分を愛してくれる人がいれば、自分は満たされるはずだ」

そんな風に思っていたのかな、と思います。
まあこれは今でもあながち間違ってはいないのかなとは思いつつ、別に恋愛関係が一番良いわけではないし、場合によってはそれよりも良い関係性っていうのもあるんだと思います。(相手によっては、踏み込みすぎないのが良い関係なのかもしれないし、むしろお互いを知り尽くしているのが最良の関係であるような人もいるかもしれません。)

自分の満たされなさを、安易に恋愛で解決しようとした、そういう自分の浅はかさを今になって反省することがあります。

とはいえ、恋愛というものは時に理性を越えて自分を突き動かしてくるもので、冷静になろうとしてもなれないこともあります。

世の中で愛されている物語には恋愛に関する話も多いし、恋愛のロマンチックな要素が強調されている社会においては、どうしても恋愛の「非日常性」への渇望と、人と良い関係を築きたいという思いが、ごちゃまぜになって自分の理性を崩しにかかってきます。

このとき、自分は「恋愛に振り回されている」んだなあと思います。
恋愛に振り回されて、人とのより良い関係性を見失ってしまっていたことを、反省するばかりだなと思います。


じゃあ今はそこから解放されたのか、と言われれば、そんなこともないのかもしれないなと思います。今は眠っているだけで、この先いつ、恋愛に振り回される時が来るかは分かりません。

そもそも自分の非モテ意識はまだまだ残っているので、いかに恋愛というものに振り回されないようにするかがこれからの課題かなと思います。

まあ、平たく言えば、同性とか異性とか関係なく、人と良い関係を築きたいってことですね。
良い関係、っていうのが何なのかはまたじっくり考えたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?