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うつ病について(2)

うつ病について書いてみよう・・・なんて思って書き始めたが、なにから書き始めたらいいのか頭がゴチャゴチャしてきた。当然、何か複雑だったり、手軽でないものを表現しようとすれば、頭はゴチャゴチャするし、まとまらない。纏まっていないものをまとめようとすれば、「まとまっていない状態」をまずは受け容れなくちゃいけない。テーブルに巻き散らかった紙屑を選り分けて、グループに分け、綺麗なもの、汚いもの、綺麗だけれど必要ないもの、汚いけれど必要なもの・・・それにラベルを貼ったり、それをつなげて見たり・・・ゴミ屑は最初、「うつ病」を表していると思ったら、それは「仕事」に見えてきたり、「人生」に見えてきたり、もっと俯瞰してみたら「世界」に見えたり、「そうかゴミ屑ではないのか・・・」なんて、一瞬、新しい世界が見えたような気がして、今ある現実の苦みが消えたかと思った途端、それはゴミ屑でも新しい世界でもない、「自分の愚かな人生」という巨大で既に満杯になった肥溜めだと思い知らされたりする。しかし、このゴミ屑をまとめてゴミ箱に捨ててしまうことはできない。そういうルールだし、たまにそういう事をする人がいるが、そういう人たちはゴミ屑を捨てた瞬間に、口もきけず耳も聞こえず、目も見えなくなる。ゴミ屑は捨てたが、それと同時にそのゴミ屑を観察することもなくなるのだ。

・・・回りくどく書いてみたけれど、結局、過去は消せないし、過去を消すには死ぬしかない、という事を言いたかっただけだ。

自殺

うつ病になると、死にたくなる。これは殆どの患者が経験すると思う。というより、人間は大体、経験する。「死にたいと思ったことなどない」という人の話は信用できない・・・というより、そういう人ほど強く「死にたい」と思った事があると感じる。うつ病でなくても死を考えることは普通な事だ。では、「死ぬことを考えれば、より『死』に近くなるか?」というと、全く逆だろうと思う。「もう死にたい」という感情は自傷行為の一部の様なイメージだろうと思う。考えれば考えるほど、「生」を感じる。自傷行為は死から遠ざかると思っている。

私は自殺未遂をしたことがある。1度ではない。2度自殺未遂を起こした。あまり詳細に書いたりすると、あとで良いこともないし、小さなきっかけになりたくもないので書かないし、死にたいという人は「自殺未遂」の話をとても興味深く聞きたがる。人によってはその話に希望を見たのではないかという目つきをする人すらいる。しかし、その時点で実際には既に「物語」になっていて心酔できれば、物語上の悲劇と自分を重ね、少しの間は、死の世界を想像することができる。
しかし、私はもう2度と自殺を企てない。誓って言える。理由はごく単純で「恐怖」だ。心配を掛けた大勢や、世話になった人のこと、そんなことは一切関係ない。純粋に「死」に対する恐怖、一瞬でも感じる苦しみに対する恐怖。生きていて良かった、とまでは思えない。そして生きていることに感謝するなど、1ミリもできない。死を望むと恐怖がよみがえる。「死ぬことは怖くない」という言葉を聞くけれど、全く信用できない。「死」を受け入れてから死に臨むなどということが人間にできるとは到底思えない。

・・・「自分の事を書いても仕方ない」と言いつつ、随分と述べてしまったが、うつ病患者の希死念慮について。
前述のとおり、私も希死念慮を抱いた。未だにそう思うこともあるが、これも前述のとおり、二度と自分ではできないと思う。そして、実際には「自殺したくなる、死にたくなる」というより、「自分」という存在に「自分」が耐えられなくなるという感じに似ている。
自分が感じている、自分の世界が嫌で嫌でたまらなくなる。誰でも「死を考える」と同じように、誰でも「自分がイヤになる」のは自然だ。うつ病患者に限らない。繁華街の殆どは、そんな「嫌な自分の世界」から目を逸らしたり、その世界が生み出す刺激を和らげるためにある。人によっては、仕事場も繁華街の役目を持つ。宗教もそうなるし、サブスクの動画サービスも同じだ。自分の感じている世界から目をそらし、自分が感じる自分を忘れる。

うつ病になる前に、そうした世界にハマるのも一つの手段だし、殆どの人がそうやっている。ストレスコントロールというのは、忘我と殆ど同じだ。酒を飲んで酔い、カラオケで大声を出して発散する。
うつ病になると、これが出来なくなる。カラオケが好きでも、酒が好きでも、女や男が好きでも、映画が好きでもなんでも同じだ。五感の全てを通じて嫌な世界を味わい続けることになる。それは「明かり」や「物音」、「臭い」、自然にそこにあるだけだと思っていた物事、今まで気にも掛けないアレコレが自分を攻撃してくるように感じたり、自分を嫌っているように感じたり、苦く感じたり、疲れさせたり、悪口を言ってきたりする。
その世界から逃げる為にしていたカラオケや酒に意味がなくなるとどうするだろうか。実際には全て自分の脳みその中で起こっている、仮想現実でおこっているのだが、そもそも「現実」自体が「仮想」なのだから、その脅威は強烈だ。世界は脳みそにあるとしたら、その脳みそにある回路の全てが脅威になるとしたら、もうそれ自体を潰すしかなくなる。その為には、正に自らを消滅させる以外にできることがない。その手段の一つに「自殺」があり、「薬」がある。酒や異性、カラオケやバンジージャンプでは追いつかない世界に身を置けるのは、自殺ですべてを無くすか、薬で五感を強烈に弛緩させる。
極論だけれど、私はこの二択だと思う。

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