ブレーメンから離れたある森の屋敷で

 目で見たものしか信じない。そんなこと当たり前だと思っていた。逆にもし、決して見えないようなものが見えてしまったのならば、それを信じるより方法はない。霊、UFO、妖怪、占い、神様、何一つ信じたことはなかった。何ならそれらについて夢中で話す人を軽蔑すらしていた。しかし、私は見てしまったのだ。バケモノを。

 空き巣というのは、計画性が大事だ。思いつきなんかでやったのならば、捕まることは目に見えている。用意周到に計画しなければ、決して成功するはずがないのだ。たった一回の空き巣ならば上手くいくこともあるのかもしれないが、こちらは常習的に行なっている。下調べこそが、空き巣の仕事の大部分とも言えた。その家主の仕事、家族構成、寝る時間や起きる時間、風呂に入る時間、ゴミを出す時間、その日何を食べたかまで、徹底的に調べる。捕まらずに侵入することだけではない、入った家がハズレだったなんてことは許されないのだ。憶測で物事を判断することは、誤りの第一歩とも言える。見たもの、聞いたもの、感じたもの、しか信じない。

 今日の仕事も、無事終えることができた。二ヶ月ほど前から調査していた豪邸だった。セキュリティが厳重で、敷地に入ることすら難しいような豪邸ではあったが、一度入り込んでしまえば簡単なものだった。セキュリティが厳重ということはすなわち、当事者の意識が低いということが窺えた。意識自体が低いわけではないのかもしれないが、セキュリティシステムを過信して、いざ入ってこられた時のことを何も考えていないということだ。

 侵入してからは、迷わず金品を袋へと入れた。丁寧にも宝箱が置いてあり、その中に大半の金品が仕舞われていた。もちろん鍵などかかっていなかった。家主は夜まで帰ってこないことが確定していたため、まだまだ漁っていてもよかったのだが、相棒から引き上げるとの指示があった。外で待つ頭からの指示だったので、その指示に背くわけにはいかない。外で待つもう一人も含め、私は四人の中で一番下っ端であった。そのため最前線で、金品を盗む役割を担わなければならなかった。

 豪邸から大量の金品を盗み取った頭は、機嫌が良かった。私も、ようやくこの仕事に慣れてきたのか、罪悪感はなくなりつつあった。この集団に混じり、空き巣をはじめた頃は、家主がその日どのように夜を明かすのかを考え、眠れないのが当たり前であった。ならばやらなければ良いのだが、そうもいかなかった。この仕事に手を染めてタダでやめられるわけはなかった。辞めるのならば命と引き換えだ、と頭から言われていた。

 森の中の屋敷に戻ると、盛大なパーティが開かれた。テーブルの上には大量のビールとワイン、彩り豊かな料理、そして丸ごと焼かれた七面鳥がど真ん中に居座った。食事の用意も私と相棒が担当しなければならなかった。この仕事にハラスメントなど存在しない。頭の言うことは絶対だ。

 食事を取り分ける心配事もなくなり、アルコールも程よく回ってきた頃に、バケモノは現れた。窓の外に現れたバケモノは、バケモノとしか言いようがなかった。窓の外に見える、月夜によって映し出されたバケモノの姿は、見たことのない大きさと形で、けたたましい声を上げ続けていた。これ以上は恐怖で思い出すのも憚られた。

 バケモノにいち早く反応し、逃げ出したのは頭だった。いつもトイレが汚れている時に、私に怒鳴り散らす頭とは、似ても似つかないような大声をあげていた。こんな機会二度とないだろう。もっとよく頭の顔を見ておけば良かったが、私にも余裕などなかった。頭に置いていかれまいと、必死になって逃げた。

 そして今、その逃げ走った道を、一人戻っている所だった。バケモノの様子を見てこなければならない。相棒よりも私の方が一つだけ年下だったため私が一人で見に行くことになった。私が所属するのは、終身雇用、年功序列の一流企業なのかもしれない。

 一度見てしまったのだから、怖いのは当たり前だった。存在を信じるよりほかはないのだ。今まで見たことのないようなバケモノなのだから、その後のバケモノ行動など読めるはずもなかった。今背後にいてもおかしくはない、そう考えるとより恐怖が私を襲い、歩みの速度を上げた。誰だって、バケモノは怖い。

 暗闇の森を一人歩き続け、やっとのことで私たちの屋敷へとたどり着いた。もっとも、四人ともが逃げ出したのだから、今頃バケモノの屋敷と化していたとしても文句は言えなかった。まずはあのバケモノがいるのかどうかを確かめなければ。そっと屋敷に近づくと、屋敷の明かりは消えていて、物音は聞こえなかった。

 油断は出来ない状況であった。繰り返し行なってきた空き巣の経験のおかげか、物音がせず明かりがついていないからといって、誰もいないと決めつけるような思考回路は持ち合わせていなかった。このまま、頭のところへ戻るという選択肢も考えなくはなかったが、頭に怒鳴られると思うと、中へ入らずへはいられなかった。頭とバケモノを比較するのは、恐怖しか生み出さないのでやめておいた。

 屋敷の戸を開けると、当然ながら真っ暗であった。窓から差し込む月明かりだけが、窓の周辺を照らし出したが、バケモノの存在は確認できなかった。ただ、私の背丈など優に超えるほどの大きさのバケモノが、屋敷の隅に身を隠して潜んでいるとは考えづらかった。

 暗闇の中手探りで台所へ向かうと、まだ消えきっていない炭火が光っていた。私は戸棚にあるマッチを手探りで取り出し、先端を炭火へと押し付けた。すると突然大きな声とともに炭火が私の顔めがけて飛びついてきた。炭火ではなかったようだ。そして顔に大きな痛みが走った。何者かに引っ掻かれたような、顔の左上から左下を縦断する痛みだった。

 突然の痛みと恐怖に押しつぶされそうになった私は、慌てて裏口を目指した。裏口へ向かい、二、三歩進んだ時、右足で何か柔らかいものを踏んだ。その瞬間、何者かが勢いよく右足に噛み付いた。バケモノかどうかなど、どうでもよかった。私は大きな声をあげ、裏口から庭へと飛び出した。藁の積んである庭を駆け抜けようとすると、今度は何者かに右の脇腹を蹴飛ばされ、私は左へよろめき倒れた。胃に到達していたはずの七面鳥が、食道まで戻ってきた。倒れた余韻も感じる間もなく、頭を嘴のようなものでつつかれた。食道にいる七面鳥とは別の鳥のようだった。

 私を攻撃する複数の者たちは、私が戦意喪失していることを認めると、屋敷へと引き上げた。私のボロボロになった身体は、庭に投げ出され横たわっていた。簡単には立ち上がれそうもなかったが、頭だけは妙に冴えていた。

 猫と、犬と、ロバと、鶏だった。

 やはり、バケモノなどいなかったのだ。私が目にしたのは四匹の動物であった。思えばバケモノのけたたましい声は、その鳴き声の集合体、大きな身体は彼らの重なり合った身体だったのだろう。この世の終わりを見たような、頭の顔が思い出され、鼻から息を漏らして笑った。その衝撃で、七面鳥がさらに食道を上ってきた。

 これまでに空き巣として侵入してきた家の、家主の顔が思い出された。入念な調査をする都合上、家主の顔は一方的に何度も見るため、自然と記憶には残される。家主の顔を思い出すと、紐で結びついているかのように、その家の情景も記憶から呼び起こされた。

 猫と、犬と、ロバと、鶏。

 過去に侵入した家で、すべて見たことのある動物たちであった。

 私は、喉元まで上がってきていた七面鳥を、もう一度飲み込んだ。上手く飲み込めず、涙目になった。

 ボロボロの身体をなんとか起こし、頭の元へと戻った。頭には、バケモノの正体が恐ろしい魔女であると伝えた。我ながら下手くそな嘘だったが、頭に疑われることはなかった。以降、屋敷に我々が戻ることは、二度となかった。


 次狙う家に動物がいないことを、私は少しだけ祈った。

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