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早川沙織からの手紙 #6

古墳3

 ぼくらの学校では中間テストのまえ、つまりゴールデンウィークのまえにクラスマッチがある。
 高校生になったばかりの1年生にとっては最初のイベントであり、2・3年にとっても新しいクラスの団結力がためされる大事なイベントだ。
 男子はサッカーで女子はバスケだ。1日をかけてトーナメント形式で、別のクラスと対戦する。
 ぼくは、なぜかゴールキーパーをやるハメになって、ボコスカ点を入れられた。野球ならとっくにコールドゲームだ。
 試合後、「サッカーにもコールドを導入するべきだよ」と、ぼくはぼやいた。
 同じクラスのカワタは「サッカー部のやつら、女子にいいところを見せようと気合いが入ってるからな」と不満を口にした。
 この日ばかりは、サッカー部がでかい顔をする。
 サッカー部と永遠のライバルである野球部も負けじと張り切る。そこにバスケ部やバレー部が割って入って、ゲームを盛り上げる。
 熱くなって、審判役の生徒に食ってかかるヤツもいるほどだ。
「女子の試合、見にいこうぜ」
 試合に負けて暇だったこともあり、カワタと第二体育館へ女子の応援に行くことにした。
 体育館はかなりにぎわっていた。コートの周りには、試合をしているクラスの生徒たちが陣取り、2階の観客席は、別のクラスの生徒が出番をまちつつ観戦している。
 4組は7組の女子とゲームをしていた。
 柵に寄り掛かって見下ろす。
「お、勝ちそうじゃん」
 22-16で、うちのクラスがリードしていた。
 シュートが決まると、女子が歓声をあげる。アイドルのコンサートかよと思うぐらいだ。
「すげえな、塚原のチチ」
 カワタがあきれたようにいう。
 4組には渡辺という巨乳の女子がいるのだが、走るだけで上下に揺れている。
 男子のあいだでも、クラスで一番の巨乳は渡辺だという評判だ。
 もっとすごいのが7組の塚原で、身長はやや低いぐらいなのにボインボインとはずむ。ジャンプすると、見ていてこっちが心配になるぐらいだ。
(いったいなにを食ったらあんなにでかくなるんだ)
 とたまに思う。
 本人は男子の視線なんか気にしていない(ように見える)。そういうのは相手にしてもキリがないと達観してるのか、男子のことをガキだと思っているのかもしれない。
 実際、男子はガキっぽいところがあった。
 ぼくらの学校はそれほど上品ではなかったし、どの女子の胸がでかいとか、ケツの形がいいとか、アイツは経験済みだとか、そんなことばっかり話していた。
 スマホで隠し撮りした女子の写真が回ってくることもある。
 いまは個人情報やなんかでかなり厳しいし、学校でもネット利用に気をつけましょうというようなことを教わるが、いつの時代も容姿の目立つ女子の写真は需要がある。

 ワーッと歓声が上がった。
 隣のコートで、1組の女子と3組の女子が試合をしていた。
 決勝の試合みたいに、そちらに大勢集まっていた。
「やるじゃん、あの転校生」とカワタがいった。
「転校生?」
「女バスの吉田とタイマンしてる」
 ようやくぼくの目が、体操服の上に赤いビブスをつけた沙織の姿をとらえた。吉田とマンツーマンで対峙していた。
 1組の吉田は女子バスケ部のレギュラーだ。ベリーショートでガタイがいい。
 沙織はゆっくりとドリブルをしながらパスを出す相手を探すフリをして、吉田がボールをカットしにきたところを体を入れ替えるようにして抜いてシュートをした。
 男子の中から「おおー」という声があがる。
 ぼくは「いまの動き、経験者か」といった。
「まえの学校でバスケ部だったんじゃね」
「シュートうまいな」
 未経験者の女子は両手でシュートをするコがほとんどなのに、沙織のフォームは変なクセがなくてお手本みたいにスッと打っていた。
 セミロングの髪を揺らして、コートを走り回り、優勝候補の1組を相手に一歩も引かない。
 ぼくは自分のクラスの試合そっちのけで、自然と沙織のことを目で追っていた。
(なるほどなぁ……男子が騒ぐわけだ)
 ヨシオが特上の美少女だといっていた理由がわかった気がした。
「8組の勝俣が撃沈したらしい」
「野球部の?」
「野球に興味がないからムリなんだと」
「へー。彼氏でもいるんじゃないのか」
 あれだけ美人なら男がいても不思議はない。なんとなくそんな気がした。

 ◇ ◇ ◇

 HRが終わって教室を出ると、廊下の壁に寄り掛かるようにして沙織が立っていた。肩にスクールバッグを引っかけて、ちょっとだけ足を交差して。
 ぼくを見て、あごをしゃくるように動かす。
 「ついてこい」という合図らしい。
 ぼくは、えらそうなやつだな、と思いながら、沙織のすこしうしろを歩いた。
「お昼にたまたま見たんだけど、女子と楽しそうに話してたでしょ。あのコ、だれ?」
「昼?」
「教室で。髪をブリーチした」
「もしかして木嶋のことか」
「ふーん、木嶋さんっていうんだ。ああいうギャルっぽいコがタイプなの?」
「ギャル!」
 ぼくはおどろいてしまった。
 沙織にとっては、金髪とピアスをした女子は、みんなギャルに分類されるらしい。
「木嶋はぜんぜんギャルじゃないよ。バンドをやってて、髪を明るくしてるだけだよ」
「やっぱりギャルじゃない」
「あのなー。いいかげん、こっちの学校にも慣れろよ。木嶋とは音楽の話が合うんだよ。昔のバンドのコピーしてて」
「たとえばどんな」
「Mr.ChildrenやUnicorn、Boowyやら。いまの音楽が悪いわけじゃないけど、パソコンでいじってなくて生歌で」
「ミスチルなら知ってるわよ」
「いいよ、無理に話を合わせなくて」
 沙織はクラシック音楽か洋楽のイメージだ。
 そのことをいうと「そうやって、人を勝手にお嬢さまのイメージにあてはめないでくれる」と笑った。
「K-POPだって聴くし、YOASOBIだって聴くし、あいみょんだって聴くのよ」といった。
 ぼくは、沙織がK-POPの音楽に合わせて踊っている姿を想像できなかった。
「それでどこに行くんだよ」
「図書館」

 校舎からすこし離れた敷地の一角には、オリーブの木が植えられた小さな庭園があり、赤い屋根をした洋館風の建物がある。
 創立当時に建てれた、レトロな図書館だ。
 館内は近代的に改装され、1階は吹き抜けになっている。反時計回りの緩やかな階段を使って2階へ上がることができる。
 広々とした閲覧室のほかに、学習スペース、パソコンコーナーまである。
 蔵書も豊富で、一般図書や勉強で使うような参考文献のほかに、地元の作家の本や、進路に関する資料、新聞・雑誌などが置いてる。
「広くて静かで、趣があって。なにより生徒が少ないところがステキ。この図書館を設計した人は、ドイツかチェコに留学経験のある人ね。ほら、プラハは赤い屋根の建物が多いでしょ」
 書棚の林を、沙織は泳ぐように散策する。上から下に無造作に眺めつつ、ときおり背表紙を指でなぞる。
 図書館が再開されたのは先週のことだ。
 4月の地震の被害が大きく、授業に関係ないということで補修作業が後回しにされていた。
 こんだけの本や本棚が倒れたら、そりゃあ、時間がかかるわけだ。
「楠くんは本を読む?」
「ソコソコ。そんな多くはない」
「どんな本」
「星新一とか、SFモノかな。田中芳樹の銀河英雄伝説は何回も読み返したよ」
 ぼくは、子供の頃はそれなりに本を読んでいた。
 でも、それは本を楽しむというよりは、たくさんの本を読むことを目的にしていた気がする。
 面白い本は1~2日で読み終わるのに、つまらない本だと読み終えることが修行のようで1~2週間もかかった。
 小学生の頃に、図書室にあったルパンとホームズを読破して、目的を失ってパッタリと読まなくなった。たぶん、ぼくが読みたい本は推理小説ではないと気づいたからだ。
 いまでは、たまにきて『Newton』の面白そうなページを開くぐらいだ。
「星の王子さまは読んだ? サン・テグジュペリの」
「それぐらいは」
「どこが良かった?」
「ありきたりだけど、トゲのある花のところかな」
「ふーん」といったきり、沙織は黙った。

「ヤガミ少尉は、きっと本の虫だったはずよ。こんな立派な図書館を作るぐらいだもの」
 華美すぎず、実用性を重視しているところに軍人として矜持を感じると、沙織はいった。
 まるで、この図書館そのものがヤガミ少尉みたいだと。
 そういえば、どっかにある戦前の兵舎に、似たようなデザインの建物があったのをテレビで見た気がする。
「資料は処分したんじゃないの? いってたじゃん」
「まあね。人生を捧げた研究を、簡単に捨てられるものかしら。司書の人にたずねてみたんだけど、学校の創立者の名前も知らなかったのよ。ありえない!」
「自慢じゃないけど、ぼくは校長先生の名前も知らない。校歌だって、ソラでは歌えないよ」
 とぼくは司書の人をかばった。
「それらしい書籍はありませんって。地下書庫を見せてくれれば、自分で探すのに。あるとしたらここしか考えられない」
 根拠は、女のカンらしい。
「私のカンってよく当たるのよ」と自慢してた。
「パソコンで調べてみた?」
「データベース? 古い資料だと登録されてないんじゃないかしら。……この先はなにがあるの?」
 2階の外国語の資料が並んだ書棚の奥に、ひっそりとした通路があった。
 ロープが張ってあり、関係者以外立ち入り禁止の札がぶら下がっている。
「さあ。職員の休憩室。トイレとか」
「トイレなら1階にあるでしょ」
 体を斜めにして奥を眺める。
 沙織はロープを軽々とまたいだ。
「まずいよ」
「だいじょうぶ。いまの時間は貸出でいそがしいし、だれも見てない」
「そういう問題か」
「いざとなったら、楠くんにむりやり連れ込まれたっていうわ」
 ぼくは、早川さんがいうと冗談に聞こえないと思いつつ、ロープをまたいだ。
 だれかに見つかったときは、そのときだ。
 薄暗い通路は、途中で直角に曲がって、その先にいくつかドアがあった。
 備品置き場や書庫として使われているらしく、どれも鍵がかかっていた。
 突き当りに『特別閲覧室』というプレートのかかった重厚な扉があった。
 沙織が金属のドアノブに手をかけると、カチャリと音がした。
「開いてるみたい」
 沙織が隙間を覗く。
 だれもいないのをたしかめて、ぼくを呼んだ。
 漆喰と木材の壁に囲まれた、こじんまりとした部屋で、葡萄色のカーテンの開いた大きな窓から、午後の光が斜めに差し込んでいた。
 部屋には、見るからに頑丈そうな木製の机と、肘掛け付きの椅子が一つずつある。どちらもかなり年季が入っていて、アンティーク家具と呼べそうな代物だ。入って右手には書棚があり、古ぼけた書物が並んでいた。
 床には絨毯が敷かれていて、ついさっき掃除をしたばかりのように清掃が行き届いている。
「閲覧室なのに机が一つだけってへんね。館長室みたい」
 沙織は、机に手を置いて窓辺に近づく。外の景色を眺めた。
 芝生の敷かれたサッカーグラウンドと、その先に古墳のある雑木林が見える。
 さすがに机の抽斗を開けるようなことはしなかった。
 でも、おそらく空っぽだと思う。
 というのも、この部屋は長い間、使われてないんじゃないかという空気のようなものがあった。
 ゴミ箱もないし、張り紙・エアコン・充電コンセントもない。見学者のいない、博物館のようにさっぱりしすぎている。
「この部屋の人は、考古学に興味があったみたい」
 沙織が書棚の本を眺めながらいった。考古学・歴史・薬学……。
 一冊だけあきらかに年代の新しめ(ほかのにくらべて)本があった。濃いあずき色をしていて、縦横30cmで大きく、背表紙にはなにも書いていない。古いアルバムのようにも見える。
 沙織はそれを手に取って開いた。
「学校新聞よ、これ。ヤガミ少尉が新聞部のインタビューを受けてる」
「うちの高校に新聞部なんてあったかな」
「昔はあったのよ。日付が1986年ってなってる。図書館の記録に載ってないわけよ」
 1986年といえば、ヤガミ少尉が亡くなった年だ。
 沙織はアルバムを持って、日の当たる机に移動する。
 隙間から2枚の白黒写真が床に落ちた。
 ぼくは、それを拾った。
 色あせてはいるが、保存状態が良く、写り具合はしっかりしていた。
 1枚は、盛り上がった地形と風景から、あの古墳の周囲に足場を組んで、大がかりな作業(工事?)をしている写真だ。
 あと1枚は、ここと特徴の同じ室内で、軍服姿をした長身の将校が写っていた。黒い丸ぶち眼鏡で、厳しい顔つきをしている。体つきはかなり細い。実直な軍人のようであり、寡黙な研究者のようにも見える。
 裏を見ると【1945.5 ヤガミ・ヘイゾウ】と書いてあった。
「ヤガミ少尉の写真ね。私もはじめて見た。資料を探してもなかったのに」
「へぇー。そうなんだ」
「この部屋は、戦時中の部屋を再現したか、そのまま移設したのかも」
「1945年って、戦争が終わった年だろ」
「ねえ、ここを見て」
 沙織がヤガミ少尉のうしろに映っている部分を指さす。
 壁に図面が貼ってあった。
 昔の写真で輪郭がぼやけててわかりにくく、紙に線が引いてあってサイズ感がわからない。
 船にしては形が変だし、飛行機にしては翼がない。爆弾といわれれば、爆弾のようにも見える。
 ようするになにかわからないってことだ。
「防空壕を掘って、地下に指令室を作ろうとしてたのかな」
「私のにらんだとおりね。ヤガミ少尉は、戦時中にここでなにか研究をしていたのよ」

 そのときは、こういうこともあるんだなと思ったけど、家に戻って考えてみたら、やはりうまくいきすぎてる気がした。
 たまたま図書館にいって、たまたま関係者以外立ち入り禁止の通路に入って、たまたま部屋の鍵があいてて、たまたまヤガミ少尉のことが書いてある学校新聞を見つけた。
 そんな偶然が重なることがあるのか??
 沙織が一芝居打ってるんじゃないかと疑ったほどだ。
 でも、沙織がぼくをかつぐ理由がないし、学校新聞を見つけて喜ぶ姿は、はじめて賞状もらった子供のように無邪気だった。
 ぼくは、(へー、こんな顔もするんだ)と感心したほどだ。

 一冊だけ年代のちがう本があったら、だれの目にも止まる。
 まるで、ぼくらがあの部屋に来るのをわかっていて、用意周到に準備していたみたいに。
 だれが? ヤガミ少尉が?
 40年前に死んでいるのに。
 廃刊になった学校新聞と2枚の写真は、ぼくらにヒントを与えるために、ずっとそこで眠っていたというわけだ。表舞台に立つことを徹底的に避けていた老人が、死の間際に新聞部のインタビューを受けて。
 目的は、ぼくらを導くために、たぶん。
 沙織のいうとおり、あの古墳の地下にはなにかがある。

 それに、ヤガミ少尉の写真。
 ぼくは決意のような物を感じた。
 ヤガミ少尉には日本の敗戦がわかっていたはずだ。優秀な軍人だからこそ、現実を理解していただろう。
 ぼくは、負けるとわかっていても祖国のために戦うという気持ちがよくわからなかった。
 まるで遠い国のできごとのようだ。
 導かれているにせよ、いないにせよ、ぼくらはまえに進むしかないのだと、軍服姿のヤガミ少尉にいわれてるような気がした。

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