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早川沙織からの手紙 #8

沙織1

 HRが終わって、教室でのんびりしていると、メッセージが届いた。
 めずらしく沙織からだった。
『まだ教室?』
『さっきHRが終わったとこ』
『一緒に帰らない? 校門にいるから1分以内に来て』
 沙織が誘ってくるなんて、はじめてのことだ。
 ぼくは、荷物をまとめて、ダッシュで教室を出た。
 廊下で、トイレから戻ってきたヨシオとすれちがう。
「おい、バッティングセンターに行くんじゃないのか」
「わりぃ、中止。いまからデートなんだ」
 ぼくは、ヨシオのケツにスクールバッグを当てた。
 校舎の階段を一気に駆けおりて、駐輪場へとむかう。
 自転車を押していそいだ。

 校門のところで、沙織が手招きするのを見て、ぼくは片手を上げようとしてすぐに下ろした。
 柱の陰になっててわからなかったけど、沙織のまえに、ちがう制服の男が立っていた。
 シュッとしたスタイルで、フワッとした髪をして、男のぼくから見ても女子にかなりモテそうだってわかる。まるでK-POPのタレントみたいだ。
(付属高校の制服だよな)
 襟詰めの金バッチが自慢そうに輝いてた。
「こっち、楠くんっていうの」
 沙織は、ほがらかな様子で目の前の男にぼくを紹介した。
 ぼくは、神妙な顔をしてぺこりと頭を下げた。
「こんにちは。木村っていいます。まえの学校で沙織の先輩だった」
 木村とかいう男は、白い歯を見せてさわやかに笑った。
「もう新しいボーイフレンド作ったんだ。沙織はモテると思ってたけど、やるなぁ」
「先輩こそ、演劇部の田中さんと付き合ってるんでしょ。ナオミから聞きましたよ」
「彼女とは何度かデートしてるけど、お試し期間みたいなもんだよ。沙織のほうが断然美人だし。沙織とくらべると、どうしても見劣るっていうか」
「いいんですか、そんなこといって。田中さんはスタイルも良くて目立つし、すごくお似合いだと思いますよ」
「いまのは秘密な」
「私も、彼にどうしてもって泣きつかれて、しかたなく付き合ってあげてるんです」
 ぼくは、(こいつ、なにいってんだ?)と、沙織の顔を見た。
 沙織は、いつものようにスクールバッグを肩に引っかけて、ぼくの存在なんかいないようにアイソのいい笑みを浮かべていた。
 下校に誘ってきた理由がわかった気がした。
(この男、早川さんの元カレじゃないのか)
 と思った。
 元カノの転校先を視察にきたわけだ。
 付属高校は港近くの海側で、ぼくらの高校の山側と離れているけど、来ようと思えばバスで来れる。
 ぼくはヨシオに、これからの時代はシュッとしてフワッとした男子がモテるんだと教えてやろうと思った。
 オラオラやツンツンじゃない。シュッとして、フワッだ。
「それにしても、おどろいたよ。新学年がはじまったら、沙織の姿がないだろ。2年で、騒動になってたよ。この学校に転校してるってニュース」
「そうみたいですね」
「いい学校みたいだね。自然があって、生徒の個性がゆたかで。受験のプレッシャーがなさそうでうらやましいよ」
「敷地が広くて、にぎやかなのだけが取り柄なんです」
「ブレザーの制服も、新鮮ですごく似合ってる」
「私は、まえの制服のほうが伝統があって好きだったな」
「沙織は、可愛いからなにを着ても似合うよ」
「生徒会のほうはどうですか? そろそろ選挙の時期ですよね」
「ああ、今年は松野くんになりそうだよ」
「へー、松野くんなんだ。彼って、下級生に人気あるからなぁ」
「よかったら、近くのカフェに行かない? いろいろ話したいこともあるし。楠くんだったよね。彼もどうかな」
「はあ」
 ぼくは、気の抜けた返事をした。
 下校する生徒たちが、ものめずらしそうに通りすぎる。
 ぼくは、どうしてここにいるんだ? と不思議になった。
「そうしたいところだけど、修学旅行の沖縄で着る水着を買いに行く約束をしてるんです。ね、楠くん」
「へ? ああ」
 ぼくは、意味もわからずうなずいた。
「そいつは残念だな。そうだ、連絡先を教えてもらえるかな。まえのは返事がないだろ」
「ごめんなさい。パスワードを紛失しちゃって。新しく登録しないと。失礼しますね、先輩」
 沙織は、ぼくの腕を取った。
 さっさと歩け、というようにグイグイ引っ張る。
 なんか最後まで沙織のペースだった。

 校門から見えなくなって、沙織は腕をパッと放した。
 バス停への道を、スタスタと進む。
 巻き込んでごめんね、の一言ぐらいあっても良さそうなのに。
「いいのか」
「なにを」
「わざわざ会いにきてくれたんだろ」
「あー、いいのいいの。どうせ、まえの女を引っかけに来ただけだから。同じ市内だし、いつかはバレるだろうって覚悟はしてたんだけどね。でも、会いに来たのはポイント高いわよね。声をかけられたとき、ドキッとしたわけだし、実際」
「ふーん」
 ぼくは、ドキッとしたのか、と思った。
「いつ、ぼくが早川さんに告白したことになったんだ」
「つまんないことを気にしてるのね」
 沙織は、軽く笑って聞き流した。
「これで、もう新しい彼氏を作ってるって噂が広まるわね、あっちの学校で」
「いやなら、ミエをはらなきゃいいのに」
「ミエっていうか、転校しておいて、ぼっちだなんて思われたらシャクにさわるでしょ」
「そういうもんなのか」
 よくわからないけど、沙織には沙織なりの意地があるみたいだ。
 転校してまだ2ヵ月たってないし、まえの高校の知り合いと連絡を取り合ってて不思議はない。
「先輩、かっこいいでしょ。生徒会長なのよ」
「だからか。頭が良さそうに見えた」
「テニス部で、いつも女子にキャーキャーいわれてて」
「付属高校にも、ああいうヤツいるんだな。K-POPのタレントみたいだった」
「私もね、カッコいいってあこがれてた。交際をはじめたときは、フワフワ浮き上がるような気持ちだったよ。大勢いる女子の中から、自分が選ばれたんだっていう、ほこらしい気持ちで」
「へー……」
「女の子のあつかいに慣れてて、同級生の男子とちがって、すごくやさしいの。話もおもしろいし、やっぱり大人だなって。笑っちゃうわよね、1学年しかちがわないのに」
「そんなに好きだったのに、どうして別れたんだ」
「んー、それはいろいろあるんだけど……ねえ、駅まで自転車に乗せてってよ。よく考えたら、先輩もこっち来るはずだし、バス停で会ったらマヌケじゃない」
 沙織は、ぼくが返事をするまえに、自分のスクールバッグを自転車のカゴに入れ、後ろの荷台にまたがった。
(二人乗りしていいのかな)
 と思った。

 ぼくは、沙織を後ろに乗せて、水の流れがすくない小川沿いの道を安全運転で自転車をこいだ。
 沙織はすごく軽かった。
 たまにヨシオを乗せることがあるけど、それにくらべたら全然だ。
 ときどき乗ってないんじゃないかと心配になるぐらい。
「風が気持ちいい。私も自転車通学にしようかな」
「自転車、持ってるんだ」
「電動アシストの。去年買ってもらったんだけど、あれだと坂道もスイスイ楽でしょ」
「家はどのへん?」
「市役所の近く」
「結構、遠いな」
 ぼくの背中には、沙織の小さな膨らみが当たっていた。
 ぼくは、その部分が熱くなるのを感じる。
 なるべく意識しないようにしようと、意識する。
「ねえ、楠くんは彼女いたことある?」
「……いたよ。中学の頃にひとり」
「へー、いたんだ。どんなコ」
「なんだよ、急に」
「いいじゃない。私も話したんだし、教えなさいよ」
 ぼくは、めんどくさいな、と思った。
「同級生で、同じ陸上部だった女子」
「意外。こういったら悪いけど、陸上部に見えない」
「自分でも、そう思う。うちの中学では、みんな部活に入る決まりだったんだ。それで、仲のいい友人に誘われて陸上部に入っただけ。べつに早く走りたいとか、走るのが好きとかじゃないよ。陸上部はお金もかからないだろ。運動部だけど、顧問が化学の先生でそこまで厳しくなかったし」
「ふーん。それで」
「そのコは、ハイジャンプの選手だったんだ。華奢なのに、バーを飛び越える姿がきれいだった。ハイジャンプは、着地するのに大きなマットがあって、それを運ぶのを手伝ううちにしゃべるようになった」
 正確には、バーを飛び越えようとする彼女の姿勢だったり、集中する顔つきに惹かれていた。
 周りの雑音なんか関係ないという目つきで、バーだけをまっすぐ見てて、そういうところがカッコイイなって思っていた。
 気がついたら、彼女の姿ばっかり目で追うようになってた。
「どっちが告白したの?」
「ぼくなのかなぁ」
「かなぁ?」
「課外学習で県立美術館に行って、そこでいわされた感じだった」
「積極的なタイプだったのね」
「水族館に行ったり、自分にしてはうまくやってたと思う。その頃は、タイムも伸びてて」
「いいわね。アオハルって感じ」
「調子に乗ってたんだと思う。2年の冬に膝を壊して、陸上部をやめた」
 そうやって、ぼくはふたたび図書室に戻ることになった。
 図書室では、おもに宇宙の本を読みながら、陸上部の練習が終わるのを窓からながめてた。
 大きなマットを運ぶのも、べつの部員が手伝うようになり、彼女がそいつと話してるのを遠くから見ていて、ぼくでなくてもいいんだなって思うようになった。
 考えてみたら、ぼくと彼女の共通点は陸上部しかなかった。
 それがなくなったら距離ができるのは、自然なことだ。
「共通の話題もだんだん減って、一緒に帰らなくなり、べつべつの高校に進学して自然消滅した。中学生によくある話さ」
「……彼女の気持ち、ちょっとだけわかるかも」
「どんな?」
「楠くんに、陸上部に戻ってきてほしかったんだと思う。たとえ走れなくても、好きな人が、がんばってる姿を近くで見たいと思うはずよ。ずっと待ってたんじゃないかしら。口に出していわないだけで」
「そうかもしれない」
 彼女にも、部活に戻ってきなよ、みたいなことをいわれていた。
 でも、中学生のぼくは、以前のように走れなくなったことに少なからずショックを受けていたし、陸上部での居場所をなくしたような気がしていた。いまなら、そんなの気にすんなよって、簡単にいえるけど。
「ねえ、その人の連絡先わかる? まだ好きかもしれないわよ」
「それはない。彼女は公立高校にいったし、男子とも気軽にしゃべるタイプだったから、あっちで充実した高校生をしてるはずだ。ぼくのことなんかとっくに忘れてるよ。高校でも、ハイジャンプを続けてくれてたら、うれしいなとは思うけどね」
 ぼくの話はそれで終わりだ。
 まさか沙織に、ぼくの中学時代の話をするとは思わなかった。
 夕暮れに染まるグラウンドの景色や、部活終わりの汗のにおいを、ひさしぶりに思い出した。
「時間ある? モールに寄り道しない?」
「もしかしてビキニを買うの?」
 背中で、沙織が笑うのが聞こえた。
 どうやらウケたらしい。
「楠くんって急におもしろいことをいうのね」
「そうかな」
「ねぇ、フードコートに行きましょう。お腹すいちゃった」
「いいよ。ぼくも喉が渇いた」
「私が見る夢について教えてあげる」
 ぼくは、沙織がそういうのをずっと待っていた。

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