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父の日からnoteを始める意味。

父の日、ということで父について語ろうと思います。

私は小さい頃からずっとお父さんが大好きです。父の日やから(?)「父」とは呼ばずに「お父さん」呼びでいこう。お父さん連呼娘です。

私のお父さんは、とにかくいつも家族の一番の味方でいてくれる男です。子供の頃、休日は必ずどこかに連れて行ってくれて、美味しいご飯を沢山食べに行ったり遊んだりしていたなぁ。和歌山がすごく好きで、毎年夏の和歌山旅行は恒例イベントでした。

背が高く、面白く(自他ともに認める)、強面、少々お口が過ぎることもあったけど、それは筋が通ってない人に対してね。ここでは書けないような口調(笑)で、あかんことに対して「それはあかんやろ」と言える、ヒーローみたいな。
そして中身は誰よりも優しい男でした。「老若男女に人気がある、ってこういうことね!」って小さいながらも思ってました。

小さい頃の私は、人と話すことが苦手やったから、(今じゃ考えられない。誰も信じてくれません。笑)お父さんがすごく羨ましかった。
誰かと話せばすぐに仲良くなり、そのコミニュティですぐ人気者になる。そして、あっと言う間に善の連鎖を起こす人。
「こんな大人、お父さん以外におらへん!」って、いつも思っていました。

あと、甘いのものがとにかく好き(笑)
あとは、根っからの阪神ファン。阪神が負けるとヤジりまくって不貞腐れてたなぁ。笑

小・中・高と、ずーっとお父さんの背中を見てきた。
というのも、お父さんは、私が小学生高学年の頃に、元々勤務していた会社から独立し、社員を集めて自分でビジネスを始め、いきなり代表取締役社長になった。

独立する前、お母さん(こちらも「母」ではなく「お母さん」呼び。笑)に「どう思う?」と相談していた。
普通なら「今の会社でいいやんか、もっと考えて!ちゃんと話し合おう」とか色々言うんやろうけど、お母さんは何の迷いもなく「いいやん!何かおもろそうやし、やりやり!お父さんなら出来るわ!応援するで!楽しみ!」ってな感じやったみたい(笑)

私と弟は「お父さんが社長になる!すごい!」くらいの感覚でした。
今でもあの感覚は覚えてる。
あなたが会社たち上げたんですか?くらいのマインドで、日々ウキウキ過ごしてました。笑

小さい頃からバリバリ働く大人になるのが夢やった。
お父さんみたいな社会人になること。
そして、お父さんと一緒に働いて経済ぶん回すことが小さい頃から私の夢でした。

ぷーちゃんのお父さんはえぇなぁ。おもろくてかっこいい(?)し、お金も稼いでるんやん?(小中学生はオブラートに包むことを知らない。笑)ほんまにかっこいいわぁ〜って、いっつも誰かしらに言われていた。
学校のイベントでもお父さんは人気者やった。私よりも友達多かったと思う(笑)
友達だけではなく、友達のお母さんにも「ぷーちゃんのお父さん羨ましい」と言われていた。

え、やんな?やっぱり?私もめっちゃ思ってる。

みたいな返しをしたかったけど、当時のか弱きぷじ子少女はそんなこと言えずでした(笑)
ただ、家族には全部報告していた。
「今日またこんなこと言うてもらった!」とか「お父さん最高すぎる!」とか。
もういいよ!胸焼けするよ!ってくらい伝えていた。

お父さんの「ほー!ほんまかぁ!ありがとうって言うといて!その子何て名前?サイン書こか?」みたいな、そんな返しも好きやった。
「いや、有名人じゃないからサインとかは別に求めてられてへんねん。字汚い人のサインはいらんよ。」というやりとりが毎度の一連の流れでした。

とにかく、グレイトな男やった。
(GTO鬼塚の顔面とは程遠い悲しき現実。笑)

ずーっとこのまま最高で幸せな生活が続くと思いきや、私が高3の時に会社で脳内出血を起こして倒れ、夜中に病院に運ばれ、ずっとICUに入ったままで、倒れた後に一度も話すこともなく、1ヶ月闘病の末に亡くなりました。

私は、そこから何を目標にして、何を生きがいにして生きていけばいいか分からなかったし、こんなに明るくてスーパーポジティブな性格でも、本っ当に毎日何のために生きてるかが分からなかった。

24時間ベラッベラお喋りテンションあげあげ男がいきなりいなくなってしまった日々は、あまりにも静か過ぎた。

母も弟もいて自分もここにいる。4人が3人になっただけ。1人いなくなっただけ。お父さんの姿がなくなっただけ。
だけど、こんなに悲しく寂しく苦しいんか。これからもずっとこうなんか、そう思うとやっぱり涙が止まらない日々がしばらく続いた。目が二重から三重くらいなってた時もあった。笑

ある日、ある人に「ぷじ子はお父さんが生きた証。最高の宝をこの世に残したんや。ずっと泣いてたらお父さんも心配するで。ぷじ子が元気にしてたらお父さんは絶対に嬉しいはずや」って言われたことがあった。

そうか。姿はないけど、いつもお父さんが見てくれてる。そう思ったら、徐々にではあるけど、何とか毎日普通に過ごせるようにはなったなぁ。

怒涛の(自分で言うな)高校卒業後、大学入学、卒業、就職、そして現在。

お父さんがいなくなって月日は今までと変わらず同じように流れたけど、同じ24時間、1ヶ月、1年、なのにとてつもなく長く、とにかく本当に寂しかった。寂しすぎて頭がおかしくなりそうやった、いや、なってた。記憶がない日もある(笑)

ほんまに寂しくて、亡くなって数年は昔のメールや、写真、手紙、を見ては泣いて、見ては泣いて繰り返してたなぁ。
当時、流した涙を集めたらダムが出来ると思います。(しょーもないと言わず、温かく受け止めてください。笑)
それをすることで、気持ちを整理しようとしてたんやろうなぁ。
一通り泣くと、スッキリして疲れて眠気が来るのよね(赤ちゃん?笑)

ちなみに、上に載せた写真は、父娘で同じ顔で大爆笑してるところ。お母さんが撮ってくれた写真。お父さんとの写真は、どれも大爆笑してるのばっかりやから、見てたら元気になれる。そして不思議とその時の気持ちというか感情が蘇ってくる。

いつか気持ちの整理が出来て、自分の心に余裕が出来たら、自分の人生について、お父さんのことについて、書いて残したいなぁって思っていました。

2021年、今年。お父さんの13回忌が終わりました。

これを機に、お父さんのことをどこかに残したいと思い、物書きのプロでもなんでもないけど、noteを始めました。
お父さんが倒れてから、今までのこと全て。どこかに残したいなぁと。

同じ環境や境遇の方は勿論、色んな人に知ってほしいなぁ、と思いました。
「あ、こんな人もおるんや。」ぐらいの感じでいいから、何か伝わったらいいなって思って。

今の私は、お父さんにどう見えてるんやろう。「こいつ、ちょっとは成長してるやんか。俺がおらんでも、ちゃんと生きていけてるやん!」って少しは思ってくれてるんかな。

今でも何か壁にぶち当たった時「お父さんなら、どうする?」ってよく考える。いつも困ってる人を助け、自分のことは後回し、そして解決したら「よかったわぁ」ってその人以上に喜ぶ。そんな性格がたまらなく好きやった。お人好し過ぎるわ!ってお母さんによく言われてた(笑)

お父さんの娘であることを誇りに思う。「なんでそんな早くおらんようなったん!!!!ぼけかす???!!!!」って腹立ったこともあるけど、なんとか皆で、そして色んな人に支えてもらいながら、ここまで生きてきたし、今、幸せと言えます。

亡くなる前、倒れる前、元気やった時はいつも「俺がおらん時はお母さんと弟のこと助けたってな。頼りにしてるで。」ってよく言われてた。「何で?お父さんがおるんやから、私の出番なんてないやん!」って思ってた。
でも、先にいなくなってしまった。益々その言葉の重みを感じます。

お父さんのように働き稼ぎ、家を支え、家族や周りの人を幸せにする。
そのスタイルは継承できている、と、思う。(多分。笑)
お父さんと全く同じようには到底できないけど、、、一応継承できていると思います。笑

お父さん、今まで本当にありがとう。そして、いつも支えてくれてありがとう。これからもずっと大好きです。
私たちは、元気です。そして、とても幸せに暮らしてます。
お父さんのこと、ちゃーんとnoteに書いていくからね。
(たまに、ただの私の愚痴大会になるかもしれへんけどね。)

今日は、お父さんが大好きやったアサヒのスーパードライをお供えして、私もそれを飲もうかなぁ。
(ぷじ子情報:アサヒも好きですが、キリンの糖質ゼロは、もっと好きです。)

色んな父の日の形があるね。

今年の父の日は、こんな形で終えようかと思います。(どんな形)
皆様、よい父の日をお過ごしください。

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