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少女でいたい



「いつまでも少女でいたい。」
『少女』については卒論でも題材にしたほど私の人生のテーマになっています。


以下、私の卒論『90年代の少女文化』から抜粋。

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国語辞典を見ると「少女」という言葉は「7歳〜18歳前後の若いむすめのこと。結婚していない処女。」などと説明されている。対して、「少年」は「年の若い人のこと、特に6歳〜19歳程度の男性の未成年者のこと。」という意味。本来は男女関係なく若い人を少年と表現するが、男性は位や階級で呼び名が違ったため「大人には少し足りない年の子」という意味で若い男性を指す事が定着していった。
(中略)
処女、つまり性体験の無い女性のことだがこれを“おとめ(乙女)”と読む場合がある。乙女とは、“少女”と同じく若い女性のこと。また穢れを知らない女性のことでもある。「乙」とは植物の芽が地面から出てきた様子から作られた文字で、
「生命力に満ちた、みずみずしい、若々しい、純粋な」というような意味がある。
では、性体験を済ませた若いむすめはもう“少女”では無いのだろうか。


▽▼▽


私は、少女でいたい反面オトナの女性としても扱って欲しい…。


ピーターパン症候群というのがありますが気持ちはいつまでもこれに近い。女子高女子大だったのと、親との関係性が諸々こじれていることが原因の根本。

17歳くらいか、年頃になると同世代の同性が次々と〝少女らしからぬ〟雰囲気に変化していく様が悲しくて寂しくて、でも死ぬほど羨ましくて眩しかった。私もこうなりたい人生だった〜と。

少女→女性ときたら次は〝母〟だろう。
私は家庭環境起因の反出生寄りな考えが少しあって、子をもつ親になんてなれる想像がつかない…。自信もない。まぁ多くの人はここまで考え込まないんだろうね。私もそうなりたかったな。
というか勿論、そもそも大人になりたくない。もう年齢的には立派な大人なのかもしれない。でも中身は幼女のまま。喜怒哀楽が激しいし現実離れしたモノが大好きで夢見がち。お姫様願望が強い。



10代の頃、「成人式なんて迎えてしまったらどうしよう、その前に自殺する!」と考えていました。

「少女じゃなくなったらどうしよう」「いつまで〝少女〟なんだろう?」そう考え始めている時点でもう既に君は少女じゃないんだよ。私が大好きなとあるアーティストか作家が、確かこんな事を言ってたっけ。泣けますね。
そうこうしてるうちにも刻一刻とティーンエイジャー終了のタイムリミットは近づく。「もう少女じゃなくなるなんて!」と焦燥感に駆られました。この辺はルッキズムやエイジズムとも深く関わってくる心理状況。


なんだろう、変化に対する恐れ、あれだけ嫌っていたオトナのオンナになってしまう恐れ、老いへの恐れ…。
〝少女でいたいくせにオトナの女性扱いもされたい〟、そう考え始めている自分が気持ち悪くてショックでした。

つかぶっちゃけ男として育てられてきたし、家業を継ぐ男の子を期待されていたので生まれた第一子が女の子(=わたし)でさぞ揉めたという笑笑 すみませんねみたいな笑笑 これが悲劇の始まりである。


『ライチ光クラブ』という漫画がサブカル女子の間で流行ってましたが、あれも少年たちが永遠に少年のままでいられるように儀式を行うみたいな世界観ですもんね。例に漏れず私も、高校生のときこれ読んで人生のバイブルの1つになったわけです笑。それの女版みたいな。


ライチ光クラブの冒頭にこんなシーンがあります↓





もうコレ。コレな。
オトナは汚い。オンナは恋愛は性は汚い。私の場合は親(ママ)からの刷り込みが強くてこう思っていました。ほんと、健常ペアレント育ちの人間には分からんだろうけど親からの刷り込みは想像以上にデカいんやで。

だからこそ似たような感性のキャラが出てくるライチがバイブルになった訳ですがこれ単なる厨二病で片付けないで欲しい…。この歳になっても尚わたしは少女性に取り憑かれてるんだから。


色々な問題がごちゃ混ぜになって『少女』『処女性』を神格化してしまうようになったのでこれについてはまた今度書こうかな…。

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