感受性への水やり
職場の先輩のダギー(サーターアンダーギーのような見た目からついたあだ名)から LINEでyoutubeのリンクが届く。K先生の最終講義の映像とのこと。K先生は、高校時代に所属していたテニス部の顧問で、授業は古典を教えてくれていた。そんなK先生とダギーは偶然にも高校の同級生だった。そのK先生が60歳の定年を前にして大病を患ったため、このたび1年前倒しで退職するとのこと。映像の中でK先生は、茨城のり子の「自分の感受性くらい」を卒業生へのメッセージとして贈っていた。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
毎日のハードワークに追われ、朝は誰よりも早く出勤し、夜は誰よりも遅く帰宅した。次から次へとおし寄せる、上司からのロクデモナイ指示と、関係者との調整、打合せやら会議やらに忙殺され、自分の心は腐れきっていた。自分のことは優先順位の最下位に置き、組織のために東奔西走していた ばかもの は、残暑も厳しい9月のシルバーウィーク明けに潰れた。
なにもかもこの詩が訴えかけるとおりだった。耳が痛かった。
高校時代、いかに部活をさぼり、いかに彼女と遊ぶかばかりを考えていた自分にとって、熱血的なK先生は苦手だった。卒業する際、一球入魂とサインされたテニスボールを貰ったが、それもすぐに捨てた。10年前に、部活のメンバーが亡くなった際の通夜も、なるべく顔を合わせないよう焼香が済んだらすぐに帰った、もう二度と会うことはないと思っていた 。そんなK先生の最終講義に、こんなにも胸を鷲掴みにされるとは思わなかった。
今の状況が不甲斐なくて、でも救われた気がして嬉しくて、自分勝手を承知で「いつかK先生にお会いして、お話ししたいです。」と、ダギーを経由して言伝をしてもらった。 言伝のLINEをしながら泣いていた。
今は無理でも、自らの感受性への水やりを通じて、きっと立ち直りたい。そしていつかK先生と再会して、浅慮だった自分のことを謝りたい。
これは、うつ病の自分と自分が向き合うための日々の記録。
ぱさぱに乾いてしまった心への水やりの記録。
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