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ぱむ@徒然日記 インナーチャイルドの癒しの旅①赤い自転車と僕

1.おじいちゃんと赤い自転車と僕

僕が小さい子どもの頃、お母さんのお腹の中には、僕の妹がいて、生まれてくる準備をしていたから、病院に入院していた。

僕はその間、お父さんの実家に預けられていた。
3歳の誕生日プレゼントに買ってくれたのが、お気に入りの、赤い自転車だった。

家の裏の山の大きな公園で、おじいちゃんは僕に自転車の乗り方を教えてくれた。

僕は、おじいちゃんが大好きだった。
自転車の練習をした後に、一緒に電車が見える橋に散歩するのが日課だった。

おじいちゃんは、沢山沢山、僕と遊んでくれた。
だから宝物だった赤い自転車を僕は大切に使った。
補助輪を外して、ちゃんと乗れた時に自分のことのように喜んでくれた。

おじいちゃんは他にも、僕にいろんなことをしてくれた。

お風呂で背中に字を書いて、何を書いたか当てっこした。くすぐったくて笑いあった。

夜眠る前に化学の本や金魚の絵本を読んでくれた。
古い電球の明かりの下、ずっと隣にいてくれた。

手を繋いで歩いてくれた。
優しい声で名前を呼んでくれた。

電車の博物館や動物園に連れて行ってもらった。
たまに、叱られる時も理由がわかった。

おじいちゃんは、とても優しかった。3歳の辻褄の合わない、大人にはつまらないであろう僕の話を、
"うん、うん"と頷きながら優しい笑顔で聴いてくれた。

本を自分で声に出して読めるようになった時、
"上手だね、かしこいね"と褒めてくれた。
だから、沢山本を読んだ。

愛されて、大切にされた記憶。
僕は、あの時いてよかった。
ちゃんと居場所があった。

一つ一つ、思い返してみると
この記憶は美しい。
とても、大切な記憶。

この、楽しくて尊い優しい記憶の中に
お母さんとお父さんはいない。
忘れちゃっただけなんだろうか?
覚えてないだけで本当は大切にされたんだろうか?

憎しみや、苦しい怒り。
僕の中にある、機能不全家庭へのそれ。
それ自体が、罪悪感だ。

"僕なんて"という言葉が頭から離れない。
大切にされたこと覚えていない、僕が悪いのか?
罪悪感を感じる。

ふとした時に、おじいちゃんとの記憶から離れると僕は混乱する。数少ない、僕の愛された記憶。それがあると気づく時、心が穏やかになる。

赤い自転車の記憶。
もう戻らない、戻ってこない尊い記憶。
僕は、生まれてきてよかったんだろうか?
少なくとも、おじいちゃんは、僕を愛してくれた。
それはわかってる。

わかってはいるんだけど、気持ちが追いつかないでいるんだ。


続く

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