都風 (3)
自分が幼き頃過ごした風景というのは今や
ほぼなくなりつつある。
人生の諸先輩方からすると、私はまだまだ若いと言われる分類だが、
元号で言えば昭和生まれである。昭和60年生まれ。
10歳に行くや行かずまでの小さい頃は、
親父が吸うタバコが200円だったり、
それをおつかいで買いに行っても普通に売ってくれたり。
駅員さんが切符をカチカチ切ってたり。
伝言板があったり。
ウォシュレットが普及してなかったり。
広島のおばーちゃんの家のトイレは汲み取り式だったり。
新幹線には食堂車があったり。
近所の住所には「字」がついたり。
好きな女の子には直接告白したり。
今と比べたら当然、遥かに不便な時代であろう。
私が幼き頃、毎週土曜か日曜の夕方に父親と姉と一緒に生まれ育った街の
イトーヨーカドーの屋上遊戯施設に行ったものだ。
そこには鬼に玉を当てるゲームや、自分で作る綿飴機やら、50円のアーケードゲームや、子供用の機関車で屋上を一周。などなど。
言ってしまえば小さな遊園地がそこにはあったのだが中でもその施設の花形、主役はトランポリンであった。
テニスコートの半面ぐらいの大きさのトランポリン。
真っ赤な生地で、それを見るだけで非日常を感じたものだ。
確か、100円で5分間好きに飛べた。
施設のスタッフのこれまた赤いサテン地のジャンパーを着たおじさんかおばさんにお金を渡すと「行ってらっしゃい」と声を掛けてくる。
ドキドキ待っていると、小気味よいシンセサイザーのような音楽が流れ、
それがトランポリンタイムスタートの合図であった。
幼き姉と私は、1秒たりとも無駄にしないよう、全力で飛んだものだ。
それを少し離れた所で、父親がニコニコしながら煙草を吹かしながら見ていた。
元々、屋上だから高い所にある。
子供の身長ながらトランポリンで飛ぶと、住んでいる地域が一望できた。
特に夕方頃行く事が多かったので天気の良い日は夕陽も差し込み、本当に美しい景色であった。
残り時間1分になると流れている音楽が少し早くなる。
もうすぐ終わってしまう夢の時間を感じつつ、息を切らせ飛び続けたものだ。
ジリリリリとベルが鳴ると、トランポリンタイムは終わり。
赤いサテン地のジャンパーを着たおじさん、おばさんが「また来てね」と
送り出してくれる。
丁度、二本、三本の煙草を吸い終えた父親が「よし帰るぞぉ」と。
親子3人で家に帰ると、母親の晩ご飯が出来ているのがいつもの事であった。
それから30年ほど
近所のドンキ・ホーテに1人用トランポリンが売っていた。
ポップで「1日5分でダイエット、脂肪燃焼に効果あり」と。
今年36歳になる私もお腹周りが気になりるお年頃である。
「一つこれで、、、、。」と思った瞬間、幼き頃のトランポリンの記憶が蘇ったのである。
いつから純粋に楽しむ事を忘れてしまったのか、、、、。
あの頃、将来大人になったら家に大きなトランポリンを買うという子供ながらの大きな夢があった。
それが35、6年間で酸いや甘いも経験しているうちに酸いの方が勝ってしまったのだろうか。
大きなトランポリンが小さいなダイエット用のトランポリンはおろか、小さなトランポリンを見るまで思い出せないほど錆びついてしまっていた。
そんな事を思って、小さなトランポリンを棚に戻している時にも軽快なドンキの歌は流れてくる。
思い立ったらいつだって
ドン・キホーテで待ち合わせ♪
24時間営業してくれているドン・キホーテは今の私にとってはなくてはならないものだ。
便利さは側にあり、不便さは遠のいていく。
スーパーの屋上まで行って100円で5分飛ぶトランポリンは今の時代、明らかに不便に分類とされるであろう。
でも、不便の中に輝く価値は必要なのかもしれない。
そう考えている間にまた今年も一つ歳をとる。
手放せない便利さと何故かたまに輝く不便さ。
もう一度、あのトランポリンで飛びたいと思ってもそこにはない。
それが不便でならない。
という、今回のお話。