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春 (92)

春のうららの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしずくも花と散る
ながめを何にたとうべき

良い。瀧廉太郎の名曲『花』の一番の歌詞である。何となくその時代の春の情景が浮かぶようである。
春、晴れ渡って穏やかな日差しが注ぐ日の、長閑な隅田川。桜が満開の中、沢山のお客様を乗せて川を上ったり下ったりしている船頭たち。汗を流して一生懸命船を漕いでいる。その手にした櫂の雫までが、太陽の光に照らされてキラキラと輝き、花びらのように飛び散っている。この素晴らしい眺めは何に例えよう、否、何にも例えることが出来ない。作者の真意はわからないが、恐らくこのような意味であろう。素晴らしい。これだけの情報を七五調で見事に、簡潔にまとめているのだ。瀧廉太郎とは何と凄いのかと感心していたのだが、調べてみると作詞は瀧廉太郎ではなく武島羽衣(たけしまはごろも)という人らしい。瀧廉太郎は作曲家なので、主に曲作り専門なのである。騙された。いや、別に誰も騙していないし勝手に勘違いしていただけなのだが、何だか騙された気分である。小学校の音楽の授業で、いかに瀧廉太郎が凄いかと学ばされる。結果、あの眼鏡をかけ髪を七三に分けた男の顔を生涯忘れられなくなるのだ。作曲家の印象が強過ぎて、作詞が誰かなど気にもならないし、知ろうとも思わなくなる。よしんば武島羽衣の字を見たとして、名前から察するに羽衣(うい)という女性ではないかと思う者がいてもおかしくはない。恥ずかしながら筆者も、この羽衣(うい)さんは昔でいうところの大和撫子というか、凛とした雰囲気を持つ御婦人なのだろうと思い込んでしまった。しかし、この武島羽衣、男なのである。それも、立派な髭を生やしているのだ。さらに本名は武島又次郎、又次郎なのである。騙された。いや、だから誰も別に騙していない。勝手な勘違いだ。自らの脳が自らの知識や先入観によって、勝手に間違えた判断をしただけなのである。

どうだろう。よく考えたら身の回りにそんなことはないだろうか。国産の食べ物だと思ったら国内加工品であったとか、能登麻美子さんかと思ったら早見沙織さんだった(別に困らないけど)とか、服を着た大型犬かと思って眺めてたら四つん這いのおじさんだったなどなど。自分の先入観や願望などで、そう思い込んでしまうことはないだろうか。そして誰にも騙されていないにも関わらず、騙された気になったりしたことはないだろうか。

世の中には大きな声の人がいて、ある程度その他の人々の思考を誘導している。そんなことがそこかしこであり、それになかなか気付かない。気付かなくても別に良い。自分だけでなく多くの人々が同じ方向に向かっているのだ、そこに不快なものはなく、何も気にすることはない。とはいえ筆者ら大きな声が大きく聞こえない。大きいだけでは魅力を感じないのである。困ったもんだ。とりあえず桜でも眺めて落ち着くことにしよう。せっかく春なのだから。


この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com