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煮込む日々(1)

 何かを煮込むのが好きだ。煮込んでいる内に味が良くなれば尚更で、ますます煮込みたくなる。
何故、煮込むのが好きなのか。ある種のフェティシズムのように思えるが、少し考えてみたい。

 私が主に煮込むものは、肉類である。牛すじ、豚バラ、手羽元、時には鶏ガラなどをじっくり時間をかけて煮込んでいる。とはいえ、当然煮込みのプロ(料理人)ではないので、インターネットでそれぞれの煮込み方を調べてから煮込んでいる。
肉類独特の臭みを消す為に、青ネギや生姜などを入れると良いという知識を得たのも、当然インターネットからだ。
水にもこだわっていきたい。水道水ではなく、ミネラルウォーターを使う。贅沢だという人もいるが、ミネラルウォーターを一つの材料として捉えると、そんなに高いものではないのではないかと考えている。
さらに、以前は肉を柔らかくする為にと軟水で煮込んでいたが、実は肉類は硬水の方が良いらしい。これもまたインターネットで得た知識で、と、ここまで書いたところで、ある一つの疑問が頭に浮かんだ。この文章を面白がる人はいるのだろうか。鍋の端にこびり付く灰汁のように、頭の隅にこびり付いて離れない疑問だが、考えても詮無い事なので、放っておく事にする。

 今、灰汁という言葉が出た。調べると、「灰汁とは、食材にもともと含まれる、えぐ味、しぶ味の事」とある。当然煮込む(たまには魚も煮込むがここからの煮込むは全て肉類の事とする)と灰汁は出る。最近わかったのだが、灰汁にも良い灰汁と悪い灰汁があるらしい。
後者は文字通りの悪だが、前者は食材の旨味でもあったりする。しかし、素人目にはどちらが善でどちらが悪かはわからないだろう。
かくいう私もなるべく悪っぽいやつをお玉で掬ってはいるが、その中に旨味も含まれているのではないかと、いつもビクビクしている。灰汁を掬うのは難しいのだ。

 ほんの少し書くだけのつもりだったが、思ったより長くなってしまった。煮込むというのはそれほど奥が深いのかもしれない。そして、思ったより煮込む事が好きなのかもしれない。何故煮込む事が好きなのか、その疑問は解消されてはいないし、まだまだ書いていきたいのだが、今日はここまでにしておきたい。あまり長く書いて煮詰まってしまう前に。

落語立川流 立川談吉

この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com