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拘り (69)

  我が家では一週間に一度スーパーマーケットへ行き、一週間分プラスアルファの食材を買うことにしている。カートに買い物カゴを二段にし、必要なものを選んでいくスタイルなので結構な量になる。それを持参したエコバッグ4袋くらいに詰めて持ち帰るのだ。ここで『おい、貴様、なんてことない日常を恥ずかしげもなく晒してどうする』とお思いになる方もいらっしゃるだろう。仰る通りである。しかし少しだけ耳を傾けて、いや目をパチクリして読んでもらいたい。大事なことは日常にこそある。因みに本日の題目の発表は後にする。

今の時代、購入したものをエコバッグに袋詰めするのはほぼ毎日で慣れたものだが、大量の食材やら何やらを複数の袋に詰めるのはまた別の作業である。高校生の時山岳部に所属していたのが原因か、リュックに物を詰める順番に少し、ほんの少しだけ拘りというほどではない何か拘りのカスみたいなものを持っている。従ってスーパーの食材を袋詰めする際も、ナマモノと冷凍食品は一緒の袋、重い物は丈夫な袋、玉子などは柔らかい物と一緒になどと考えながら詰めている。何故かそうしないとほんの少し気持ち悪い感じになるのだ。結果、詰めるのが物凄い遅い。混んでる時は急ぐがそうでない時は能の動きのようにゆっくり詰めている。しかしいつも思う、”この拘りは本当に必要なのだろうか”。結局のところ持ち帰って冷蔵庫に入れるのだから、せいぜい玉子だけ割れないようにするだけで良いのではないか。必要のない拘りに無駄に反省したりする。こういう無駄な拘りが個人を作り上げていわゆるひとつの何かになるのだと考えると、あまり持ち過ぎてはいけないものなのではないだろうか。拘りが増えれば増えるほど柔軟性が失われ、ストレスを感じやすくなり偏屈な人間になってしまうのではないだろうか。

拘りとは少し違うジンクスみたいなものだが、二つ目に成り立ての頃、高座の前に必ず一本栄養ドリンクを飲んでいた。そればかりか必ずウォークマンなどで好きな曲(当時はブルーハーツの月の爆撃機か情熱の薔薇のどちらか)を聴いていた。それくらいしないと怖かったし、当時はそういうルーティンを作りたかったのだろう。今は全くない。そういうジンクスみたいなものを作ると、その通りいかなくなった(栄養ドリンクとかを忘れたり、トラブルで音楽プレイヤーを聴けなくなった)場合、動揺してしまうだろうと考えやめたのだ。それでも強いて言うなら出番前お茶ではなくペットボトルの水を飲みたいくらいで、これすらこの間どうでも良くなくなった。まぁ水の方が好きだからなるべく水飲むけど。

せっかくだから思い浮かぶ小さな拘りを書き出してみよう。
・下着は白のトランクス
・手拭いは二種類から選ぶ
※以前は無地の手拭いだった
・醤油は鎌田
・納豆、牛乳は北海道
・ポテチには炭酸
だめだ、、、、、他にもあるはずだが出てこない。ほとんど拘りをやめてしまったのだ。無意識下にはあるばすなのだが、、、思い浮かんだらコメント欄にでも書きます。

拘りがない方が良いとは思わない。適度に拘りがある方が人として面白いものだ。かの有名なイチローの現役時代など拘りの塊であったそうだ。長く生きると知らぬ間に増えていくのが拘りである。遅くなったが本日の題目は『拘り』。必要な拘りと無駄な拘り、たまにはこの拘りの整理をしてみたらどうだろう。

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com