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パラリンピック (55)

 子供の頃住んでいた家のすぐ近くに養護学校、盲学校、聾学校があった。なかでも一番近いのは養護学校で、そこで年に一度開かれるお祭りに行き、バザーの美味しい焼き鳥を友達と食べたりしていた。因みに焼き鳥といっても串に刺さってるやつではなく、骨つきもも肉を丸ごと炭でやいたようなもので、思えば大変に美味なるものであった。小学校のサッカークラブ(Jリーグ全盛期で友達が皆サッカーをやっていたので、運動音痴だが入っていた)は、その養護学校のグラウンドを借りていたし、通っていた小学校にも”ひまわり教室”があり、障がいをもった子供たちも通っていたりで、小さい頃から障がいというものが身近であった。中学の時はサッカーの部活で盲学校聾学校のグラウンドを借りていた。そんなに身近であるにも関わらず、あまり障がいについて詳しくはなかったし、今も特別知識もない。まして子供なんてのは残酷なもので、意味もわからず障がいをもった人達のマネなどして遊んでいるくらいだ。恥ずかしながら筆者も小さい頃はそんなことをしたような記憶がある。知らないというのは恥ずかしい。無知は罪ではない、知らないのは仕方がない、しかし、非常に恥ずかしいものである。

  そんな経験者から言わせてもらうと、パラリンピックの学校観戦などは、全くやる意味がないと思っている。例えコロナでなくてもやらなくていい。人生経験や知識のない子供に、障がいを抱えたアスリートの汗と涙が伝わるわけがないのだ。そういったものの本質を伝えたいならば、図工や家庭科なのどの授業で一緒に教室で遊ぶとか一緒のものを作るとか、そういうことが必要なのだ。日常生活でどういう風に違うとか、何に楽しみを感じるかとか、そういうことの方が子供に伝わりやすいのではないだろうか。それでも筆者の子供の頃のような無神経なガキには何も伝わらない可能性が高いように思うが。

今年も24時間テレビをやっていたらしい日テレさんは、なぜパラリンピックを放送しないのか。これは疑問ではなく憤りである。視聴率が取れないと思っているのだろうが、オリンピックと同じようにゲストを呼んで盛り上げれば良いではないか。車いす競技、ゴールボール、ボッチャ、陸上、ブラインドサッカーなどなど、どれも非常に見応えがあり、パラアスリートの技術や精神力に、驚嘆するばかりである。

いつ自分がどうなるかなどわからないもので、今は元気でもこの先障がいを抱えることになる可能性もなくはないのだ。そんな時にパラリンピックが盛り上がってるかどうかは、凄い大事なことだと思わないだろうか。
皆さんはパラリンピックを観てますか。凄く面白いですよ〜♫

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com