過去記事 PPKについて考えてみた
2007年2月23日に、当時のブログに書いていたPPK(ピンピンコロリ)という内容を見返して思ったことを書いてみる
PPK
日経新聞に載っていた「あすへの話題」が興味深かったのでちょっと抜粋。
PPK(ピンピンコロリ)という言葉がはやっている。死ぬ間際までピンピンと元気で、死ぬときはコロッといくということである。~中略~ PP-K=ゼロということで、昨日まで元気で今朝急逝したというような例である。しかし多くの場合、PP-K=ゼロとはいかない。現実にはPPとKの間にある期間、すなわち何らかの支援や介護の必要な時期と終末期が存在している。実は、私たちの人生を考える時、このPPとKとの間に十分な思いをはせることが重要だ~以下略~
2007/2/22 日経新聞夕刊より
えー、不思議な考えですね。
省略したとこに書いてあるのですが、PP-K=0と考えると、事故死、殺人などの被害も、コレに当てはまるのですよね。なんの前触れもなく「死」が訪れるわけですから。
しかし、そうではなくて
PP-K=死への準備期間
こう書いてありました。
たしかに、元気でいる期間から、死んでしまうその瞬間を取り除いたとしたら、あとは病気であったり、老衰であったりと、言い方は悪いがなにかしら「死」へのカウントダウンが始まっているわけである。
つまり「死」への準備期間である。
本人はもちろん、周りの家族・友人・知人はこの間に気持ちの準備をするわけだ。
と、ここまで書いてみて思った。
自分には、「死」に関して客観的な意見しか浮かばない。
今まで、周りの人間がなくなったことがないのだ。
それに加え、親しくした動物も死なせてしまったことがない。
つまり、自分は死は『こっち』ではなく、『あっち』側と頭で判断しているのだ。
マンガ、ドラマ、映画。「死」というテーマは、さまざまな視点で表現されて、世の中に氾れている。
なんか現実味がないのはそのせいなのだろうな。
もちろん、命や死を軽く見てるわけではないのだが。
「死」といえばもうひとつ。
この間、仕事前に駅の本屋で時間をつぶすために立ち読みした本が、昔探していた短編の話だった。
村上春樹の蛍という話だ。
「死」について、「生きる」ということについて、感動とかそういう感情的なものではなく、もっと哲学に近いものを中心に書かれている。
もっともこれらを、死を体験したことない自分が感じるのは、本当の「死」の一握りだろう。
実際「死」というのはゆるぎない真実なくせに、ひどく曖昧なものなのだ。
人類すべてに当てはまる事象なのに、人類誰一人として、死についての答えを知るものはいない。
ふむ、なんて不思議なものなんだろう。
命、死、宇宙、世界、過去、未来。
今を構成するすべてのものはなんて確実でひどく曖昧なのだろう。
まぁ、「死」とは誰をも捉えてはいるが、その「死」が訪れるまでは、「死」に捉われないという逆説的な考えもできる、と「死」を感じたことのない自分はそう考えているし、これからもきっとそういう風に、生きていくのだろう。
「死」を身近にまったく経験したことない人生と、「死」という経験をした事のある人生、どちらがいいのだろう?
とりあえず生意気
これは10年以上前の記事でした。
生意気ですね。
あれから10年。
自分も身近な人の死を体験した。
2度と会えないという不思議な感覚。
小学校の頃のあまりなかのよくない友達なんて、2度と会うことはない。
そんな人だっているのに、身近な人がなくなるとこうも言い表せない感情になるのだろう。
今の世界において死は身近である
本来であれば、人は生きている限りいつか死ぬので、身近なはずだ。
だけど、今この状況においてそれは数%かもしれないがより身近になっている。
それは新型ウィルスの件でだ。
大半の人は軽度の症状で済むそうだ。
でも、未知の病であり、ワクチンもない。
これほど、怖いものはない。
なんせ、すぐに死ぬわけではないから感染がとまらない。
とまらないからじわじわと世界を蝕んでいく。
でも本当に蝕んでいるのは、自分達で作った仕組みが蝕んでいるのかもしれない。
海を簡単に渡れるようになり、生活が豊になった代わりに働くことが強制力を持っていたり。
もっと言えば、今までに常識は全てと言っていいほど非常識となり、働き方も生活の仕方も変わってしまった。
コミュニケーション の方法だって変わってきている。
どこかでこれ元に戻るのではないかと思っている自分がいる。
でも冷静に考えればもう2ヶ月前の日本、世界に戻ることはほとんど無いと思う。
数ヶ月先、数年先、きっと想像できないことになってしまうかもしれない。
それでも、今できることをしっかりとやる。
手洗いうがいも不要不急の外出を控えることも。
ピンピンコロリ
私は、100歳くらいにピンピンコロリと逝きたい。
そのためにはまずはここを生き延びる。
ここを生き延びた時、あの時は大変だったんだよと笑いながら伝えたい。
息子たちはまだ小さく大人になった時には覚えていないだろう。
それでいいのだ。
今は、不快な感情を少しでも取り除けるよう頑張る。
それは近くにいる大人の務めであり、この子たちの親としての責務だ。
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