見出し画像

今日の日記2022/05/28

規格を揃えるということ

カード然り、A4然り、バレットジャーナル然り、一つの単位を規格化している。
そうすると同じサイズとして扱うことができるため、混ぜたり入れ替えたりすることができるのだ。
物のサイズに制約が発生するのは、質量が存在するため仕方ない。しかし、揃ったように見せることはできる。それが、規格化である。
デジタルでは、それを限りなく同じように見せることができる。ドキュメントも画像も動画も、一つのファイルデータとして考えれば、同じ1行になるのだ。
この規格化が意味するのは、なんだろうか。
規格化の目的は、揃えることで、同等に扱いそれぞれが繋がりあって新たなひらめきを産むこと。しかしデジタルの規格化は無機質な情報が並ぶだけなので、ある程度情報の粒度は同じである必要がある。それを考えると、ちょうどいい規格化は、アウトライン1行程度だろう。
文章であれば分解して、並び替え、組み替え、そして固め直すことができる。そう考えるとアウトライナーは適している。この考え方は、自分の中にバレットジャーナルが根源的なところで染み付いているからかしっくりくる。

アナログな手法をデジタルで実践する

付箋は、いい。なぜならめくるたびに白紙だから。
付箋は、いい。好きなだけ書いて並び替えが簡単だから。
こんなメリットを、デジタルで再現しようとすると、なかなか難しい。
post itアプリでは、めくるたびに白紙になり、好きなように配置できる。
しかし、現実世界で手を動かして付箋を並び替えるという行為には似て非なるものだったと感じる。おそらく、思考に対して、反映が追いついていないのだ。UIとはこういうところでも、影響を与えるのだろう。
デジタルのメリットはリンクであり、検索性であり、無限性である。
リンクは、物質と物質の垣根を越えた形で行うことができる。
検索は、メタデータを取り扱うことのできるデジタルと親和性がとても高い。
容量の許す限り、データは無限に保存できる。テキストデータで言えば、数千数万、それ以上の書物を保存するのに必要なサイズのストレージを、個人レベルで所有している。その先だって、別に特段難しい状況ではない。
こういったそれぞれの特徴を考えた上で、本当に必要なことは何かを考え直すのが今の時期ではないだろうか。そろそろ新しい技術は頭打ちだろう。次は、質量を超えたバーチャル、ホログラムの時代。
そこで、どこまで現実レベルでのUIが再現されるかわからないけど、便利なものを使うのか、便利なものに使われる存在になるのかは、ここからの考え方次第な気がしている。

自分が持つ別の世界

人は複数の世界を持つ。正確には、複数の役割を持つ。ロールモデルだ。
親としての自分、子としての自分、会社の一部としての自分、趣味人としての自分、いろいろある。
その中で、それぞれの根源は変わらない。生物学的には1人の人間なのだから。しかし、その前に人間の社会性として、それぞれの場所での自分を発揮している。これらは人格が変わるというと大袈裟だが、生きる目的そのものは違うとすら感じる。
このどれか一つだけが肥大化していくと健康な状態ではなくなる。
社会人として肥大化した結果、プライベートに何をしたらいいかわからない状態
趣味人として肥大化しすぎたせいで、日常生活に支障をきたす状態
それぞれはどの程度であるかどうかはご自身が決めればいいのだが、どれか一つに依存している状態はかなり危険。
なぜなら、その世界での自分の役割を否定された場合、待っているのは、その人自身の存在価値の否定となる。本当は、そこの世界での役割、しかもその一部を否定されただけなのに、生きている価値がないとすら感じてしまう人がいるのが事実存在している。
だからこそ、自分が今何かに追い詰められているのなら、新しい世界、今いる世界とは別の何かを持てるといいと思っている。事実後輩たちには悩んでいる時こそ自分のやりたいことをやるように伝えている。これで全てが解決するわけではないけど、自分の好きなことをするって、別の世界を持つことと似ている様なものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?