見出し画像

今日の日記 2022/06/28

保育園に関する法的根拠の整理

自分用のメモ、多少の違いは許してください。

児童福祉法


所管は厚生労働省
保育の対象は、0歳から就学前児童
保育を必要とする子どもの保育を行う → 39条
保育時間は、原則8時間歳11時間以上開所をする。
国庫補助として、運営費を支給している。
保育所という施設を定義している

児童福祉施設の設備及び運営に関する基準 35条


保育所保育指針の法令根拠

建築基準法 12条


建築設備定期検査
特定建築物定期調査
防火設備定期検査

消防法


機器点検は半年に1階
特定防火対象物 1年に1回

法令と条例の違い

条例とは、2種類あり、法令を根拠に制定を必要とする場合か、任意条例のどちらかである。
法令の方が、上位なんだな。

ジャーナリング


トイレに入ったら、Twitterを見るので披、字を書い坊が、生産的に成れる。それがいいのかはわからないけど、上下で確定できるこの仕組みのおかげで、ハードルを下げた状態でメモをとることができる。これは、良い。おなかいたい?いや、活発なだけ。

だらだらとただひたすらする時間があっても良い。そう思う。自分の身体が、それを許ささない。
フワフワとした感覚がなんだか抜けない。

やるべきことをもっとコントロールするかっていう話になるけど、そうじゃない。

燃えつき症候群みたいなもの。ちがうか?ただひたすら、好きなことをしたい。
多分、本当はすぐにでもできるはずなのにやらない。それはなぜ?

自由を求めていたのに、自由になったとたん、迷子になる感覚。
そしたらマニュアルするか。

スクリブルと手書きキーボード

手書きキーボード、自動での確定をなしにしてみた。そうすれば、上下に書くことで確定できるし、変換も、旼間制限なく行える。ただ、あまりにも字を崩しすぎてしまうときちんと認識しないので注意が必要

直接スクリブル機能でLogseqに書こうと思ったけど、スクリブルの設定を、オフにしてみた。正直精度はこちらの方が高いよね。

何かよくわからないけど、考える行為を辞めればいいのだろうか考える項目出してひたすら字を書くこと自体嫌いではない。

たくさん書いた気になっていたけど、字で書くと、テキスト量はたいしだとない。

関係ないけど、LogseqのCSS他の文字にヒントがないか?

手書きと打ち込みのハイブリッドについて考える


手書きは、目の前に集中できる。
打ち込みは、自分の思考速度と同等かそれ以上に早く打つことができる。
この速度の違いが、どちらを選ぶかを選択しとして持った方がいい。
音声入力も同じだ。出来上がっている文章を打ち込むのであればOCRか音声入力で行った方がいい。

優位性と共存


どちらが良いではなく、どちらも共存する。この考え方は重要である。しかし、絶対ではない。
絶対や完全という考え方ではない。
これ重要。

優位性というのは、特定の条件下において、どちらの方が優れているというわけで、全ての条件下で同じように考えられるかというとそうとは限らないのだ。それは、倫理観に基づく何かであっても。
自分の命と他人の命を天秤にかけるとい究極的な選択が発生したときに、どうするか。それも、その時のその人の価値観であり、普遍性はない。

絶対性もない。
状況に応じて、選択を絞るべきなのか、複数持っていていいのか、この第3の選択肢を持つことはとても重要である。

タスクと情報の間にあるグラデーション

タスクか情報か。
二者択一ではない。

そんな簡単なものではないし、捉え方によっては変わる。

名詞と動詞の関係に似ている。

言い方、語尾1つで意味が変わる。

よく言えば、というと逆にも感じていると暗に示している


よく言わないと、という側面を孕んでいる。そもそも全ての事象において複数の視点を持つことができるのは基本なのに、反対側もあるよとわざわざいうのは、違う意味にも捉えてほしいというふうに聞こえる。
どう考えても悪い方向にしか、聞こえないかもしれない。だけど、いい事を言うんだよ、という言い訳がましい前置詞なのかもしれない。
そう思うのならば、そう思われない言葉選びをした方がいいのかな。
直接的な表現がいけないのではなく、相手に誤解ではない形で捉えてもらえるように、表現をする。

思考実験という妄想


妄想のプロジェクト
思考の中で試してみる。試した結果が、現実でそのようになるかはわからないけど、おおよその方向性は想像できる。
この想像というのは、自分の気持ちだけでなく、それに関わる事象に対して、どこまでの解像度で向き合えるかということ。

努力の方向性


努力は報われるのではなく、報われるまで実施して初めて努力とみなされる。
結果ではなく過程も評価されるが、家庭の中に何を得たのか。非認知能力の部分も重要視するだけであって、ただ続けていただけではそれは努力とは言わない。行ったという実績が残るだけだ。それ自体は悪いものではないけど、それだけで自分が「ちゃんとやったと思い込むのは少々甚だしいと感じてしまう。

iPadに最適なトラックパッドとキーボード



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?