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《才能とは何だろう3》環境のおける役割。

人間の才能とはいったい何なのか。教えるとは何だろう。日々、自問自答しながらピアノのレッスンをさせて頂いている。今回は環境というテーマで見つめてみたい。

一ピアノ講師としてまだ半人前ではあるが、自分の経験を通して感じることを素直に書き留めておきたい。

環境とは。


weblio辞書によると、『環境』とは『意識や行動の面でそれらと何かの相互作用を及ぼし合うもの』とある。

取り囲んでいる周りの世界。人間や生物の周囲にあって、意識や行動の面でそれらと何らかの相互作用を及ぼし合うもの。また、その外界の状態。自然環境の他に社会的、文化的な環境もある。

引用:weblio辞書

音楽を学ぶ上で、『環境』という言葉は欠かせないものである。『たくさんCD を聴こうね』とレッスンで言ったり、『質の良い音楽を聴きましょう』という話を聞いたりする。音楽の才能(という言葉でまとめていいのか分からないが)を伸ばしている要因が、先日触れた遺伝による影響と環境による影響のどちらが大きく関わっているのか、まだはっきりと分かっておらず、遺伝によるものが大きいという説、環境によるものが大きいという説のどちらが正しいのかまだ答えが出ていないのが現状である。

そこで、ここでは今までに私の身の周りで起こった環境に関する出来事をまとめてみた。

お母様が音の違いに気づき始める。


レッスン中に、『スタッカートは上向きになっていたかな?今のどうだった?』などと問いかけることがある。始めは意味の分からない顔をしている生徒さんのお母様でも、長い時間かけて何度も何度も同じことをレッスン中に声掛けをしてあげると、お母様の方から『今の音の出し方、良かったですよね?』などという反応が返ってきたり、『つぶれた音はきもち悪いわね〜』などどレッスン中に助言していると、『先生、今日の音、どうでしたか?』などとお母様から質問されたりすることがある。生徒さんやお母様方の耳が慣れてくると、こちらの弾く音も気の抜けた音で弾けなくなってくるものだ。

お子さんがピアノを習いはじめたことをきっかけにお母様にもまた新しい気づきが生まれていたのだった。これも環境がそうさせているといえると思う。

下のお子さんの方が上達が早い。


これもよく耳にする話だが、私も2人目が生まれてそれを実感せざる得なかった。上のお兄ちゃんには苦労して練習させた曲や、今、兄が練習している曲でさえ弟は『ぼく知ってるよ』とメロディを弾きだすのだ。私の生徒さんの弾く曲はテキストが違うので、息子達は弾いたことはないのだが、左手が『ドミソシレソ』の伴奏で16小節までぐらいの曲だと、『もう何回も聞いたし!』とかなんとか言ってすらすらと両手で弾きだしてしまう。私には理解ができない仕組みである。

これも、常に音楽を聞いているという環境がそうさせているのだろう。

親の与える環境による成長。


これは私の幼いころの話だが、ピアノを習い始めてしばらくすると、小鳥の鳴き声や、自動車のエンジンの音が全てドレミで聴こえるようになった。小鳥がさえずると『シシシシッド♯』と鳴いているように聴こえたり、エンジンの音は『ファーーー』から始まったり。また、お料理のときにボウルをかき混ぜている音がすると、聞こえてくるリズムが頭の中で動き出して、もう他のことは手につかない。ボウルの中から次々と湧き出てくるリズムが面白くてそれをずっと聴かずにはいられなくなるのだ。人が喋っていてもそうだった。話し声がリズムにしか聞こえず、ただただ、私は聞こえてくるリズムが面白くてしょうがない。現実に戻って会話をしなければならないのを大変だと思ったことがある。
子どもなので、思った事を思わずそのまま口に出して母に聞いてもらおうとする。『お母さん、お母さん、今、小鳥がシシシシって鳴いたよ!』すごいわね!と褒めてもらえるのかと期待して話したのに、母は私を心配そうに見つめて『そんなことあるわけがないでしょう?』とため息混じりに答えた。その時の心配そうにのぞきこむ母の顔は今でも忘れられない。一瞬、頭が真っ白になったと同時に、そのあとから、一切、私の耳には周りの音がドレミや音楽のように聴こえることはなくなってしまった。今でも聴音が苦手である。

子どもにとって、親は最大の学びの場である。私自身も我が子に何気ない一言をついつい言ってしまう自分をまた反省する毎日だったりする。親子は繰り返すことが多いのだ。それもまた環境である。

置かれた状況で成長する。


これまた、私の昔の話で申し訳ないが、以前、アルバイトで結婚式場のオルガニストをさせていただいていたことがある。入退場の音楽を弾いたり賛美歌を伴奏したりする仕事だ。講師になってから電子オルガンを習った程度だったが周りで弾ける人が他にいなかったので引き受けてしまった。。
今でこそピアノは練習が命だと思っているが、学生時代、音楽科に進み周りが上手な人だらけだったのに驚き、初めて練習の大切さを知った。
ましてや、講師として働き、結婚式場で演奏しなくてはならなくなり、そこにお給料まで発生するようになった時、初めて猛練習するようになっていた。なんとも恥ずかしい話しである。

このように、置かれた環境によって人は成長していくことがある。

付いた先生に受ける影響。


音大を目指す受験生にソルフェージュ(楽譜を読む力をつけること)や聴音(聞き取りテストのこと。聞いた音楽を楽譜にかき表す。自分では苦手だが、さもできる人かのようにして教えている)コールユーブンゲン、コンコーネ(どちらも声楽を学ぶための基礎のテキスト)、楽典(音楽の決まりごとのようなものが書いてある本)などを教えることがある。音大といっても、地元の音大生程度だが。このソルフェージュ系の教え子の中に、現在ピアノ講師をしている先生がいる。毎年発表会を合同で行うが、彼女も一緒に参加している。
講師演奏ではよく6手連弾をしている。6手ということは3人で弾くのだが、教え子の先生(A先生)と彼女以外の先生(B先生)と私の3人で弾くと、B先生を挟んで両脇にA先生と私が座っているのに、A先生と私の息だけぴっっっったり合うのだ。呼吸をするタイミングから、フレーズの感じ方、間の取り方が弾いていて同じに感じるのだ。(向こうが合わせてくれていたのかしら?)

教わった先生によって、生徒さんの音楽は形作られている部分もあるんだなぁと思った瞬間だった。

最後に。


ここまで記した中でも、音楽を学ぶうえで環境における影響は計り知れないものがあることがわかる。音楽の才脳が環境によって作られていることも間違っていないと私は思う。


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