生き方のキーとなった正義感の話

今回は自分語りに徹します。
それよかオマエさんは誰なんだい?という方はよければ自己紹介をご覧ください。


今回の話題は私が過去に傷つき、怒った出来事です。
それから感じたことや学んだことが私の中に蓄積していきます。
しかしお金のように蓄えるだけでは意味がなく、使わなければいけません。
その思いを循環させるべく放出する場と考えていて、ただのぼやきになる箇所もあります。
色んな感情を引き出しながら書いてみましたので、よろしければご覧くださいね。



平等じゃないことに疑問を持ちすぎて爆発したことを話します

幼稚園、小学生、と周囲から「おとなしい子」の認識で学年が上がっていきました。
これから綴る「声を上げないといけない」と感じたことが、「人間はできるだけ皆公平であってほしい」という私の価値観のよすがになっています。
価値観と行動が一致していると、パワーが湧き出てなんでもできるような気がしてきます。

まずは小学4年生の宿泊学習の時の、私にとって忘れられないことを聞いていただきたいと思います。

無口女がスルーできなかった話①

小学校って何をするにも4〜8人くらいの班を作りますよね。
4年生での宿泊学習の班員は、このように記憶しています。
男子はクラスのやんちゃ2トップとおとなしい2人、女子はおとなしい子と私の6人構成。
班毎に考えた食事を準備したり、テントを組み立てたりと楽しかったです。
良くも悪くも話題の中心のクラス2トップは意見をよく出すし、率先して動いてくれ頼もしかったのでイメージが上がっていました。

でも消灯時間になり、やんちゃ男子が

「〇〇さんたち、寝た?」

消灯時間だし寝てなかったらなんやねんと狸寝入りを決め込んでいましたら、

「死んだんじゃねー?」

って!笑いながら言うのよ!キィーーーー
この言葉が当時の私の心みたいなものにぐっさーーーときたんですね。(今も大いに刺さってる)
よく人を好きになってハートを射抜かれる表現がありますが、それと違うことは明白です。
胸をめった刺しにされるような感覚がありました。
心臓が縮まり震える感覚、鼓動は早くなり物理的に痛いんです。
同時に血の気が引いていきます。
なんでこんなことが言えるんだろう、この人達は。
夜中もぐるぐる考え込んでしまい、寝不足で朝を迎えました。

その後宿泊学習の振り返りをしたのですが、私は担任に消灯時間のことを報告しました。
従来の私がしたことのないことです。
学級会議で表面上謝ってもらい、純粋にスッキリしていました。
当時もし本当に寝ていた人がいたなら、知らなくていいことを伝えてしまったと申し訳ないです。
確認しておくべきだったとずっと後悔していることです。

今これを書いて思ったことは当時の彼らから見て、自分たちより気弱な人からの「無視」「無いものとされること」は耐えがたいものだったのかもしれないです。
だから数ある言葉の中で「死んだ」という攻撃の色が強いものを選んだことも許したいです。
…それでも誰であろうと、この日本という国で軽々しく死ねと口に出すのは、他人の人生を狂わせ、後に自分が詰むことだってあります。
色々な可能性の想像ができる人で溢れた世の中になったらいいと思ったりしています。

無口女がスルーできなかった話②

小学校高学年の話だったと思います。
学級会議で委員会の所属先を決めました。
しかしその日、欠席したAちゃんがいたのです。
Aちゃんは人数の足りない余りの委員会へ当てがわれ、各々希望の委員に決まり会議は終わりました。

後日、復帰したAちゃんが「もう一度決め直すことはできないか」と担任に相談したことで話し合いが開かれました。
担任が生徒たちに意見を求めますが、その大半は希望の所属が決まった人ばかりです。
無論、沈黙が続きます。

Aちゃんの気持ちもよく理解できましたが、圧倒的に不利な立場でした。
話し合いは平行線、彼女が折れるしか道がないようにも思えました。
皆の保身から続く沈黙に耐えられなくなった私は「自分の立場なら、嫌だ」という旨の意見を出したところ、何かの流れで再会議します。
結果的にAちゃんは希望の所属先へ、私は譲歩する形でかつてAちゃんが所属しかけた不人気委員会に配属することとなりました。

当時は再会議のきっかけとなる発言をしたことを少なからず後悔していました。
でも実際、委員会は楽しく学ぶことも多かったです。
皆が嫌煙する理由はいわゆる「陰キャの集まる委員だから」それだけです。
陰キャとか陽キャとか、そのカテゴライズ自体が好きではないのですが、どうしたらこれは無くなるのでしょう。
ずっと考えています。
それによって付き合う友人のタイプの視野が狭くなるケースも多いです。
非常にもったいないことです。

無口女がスルーできなかった話③

20代半ばを過ぎたころ、介護の職場でのことです。
パートの職員で60代のAさんという女性がいました。
とても働き者で、問題が起きたら愚痴をこぼす人が多い中、真っ先に解決に向けて動くことのできる人でした。
特に印象深かったのは2人で夜勤に入ったときに見えたその方の人間性です。

「私は何か特別なことができるわけじゃないし、今できることを全力でしたいの。後悔だけはしたくないんだ」

一緒に食事休憩をとりながら、雑談の中でそう言っていました。
かっこいいな、私もこんな風に生きられたらいいなと、今でも目標とするひとりです。

そのように私に大きな影響を与えていた人だからこそ、悪く言われた時の反発する気持ちが大きかったです。
恒例のパートおばさん達の愚痴大会の中で、Aさんの話題が出ていました。
「あの人、忙しいのに○さんの脚のマッサージとかしてるんだよ?」
「えー空気読んでほしいよねー」
急変があった時の行動ならそう思っても訳ないのですが、いやいや、時間押してないし。
もう完全に、言いたいだけなんです。
また身に覚えのある、あの感じ。
鼓動が早まり、心臓が痛みます。
波風は立てられないと急いで更衣室に逃げ込み、何あれ?利用者のケアがだめなら何しに来てんだっつーの!などと怒りをあらわにしていました。
噂好きな1人のパートさんには見られていましたが、なぜかそっと胸にしまってくれたようです。

退職理由は体調不良によるものでしたが、正しい行いさえ悪口のネタにする人がいたり、私にとっては苦痛な職場でした、そう施設長に伝えて退職しました。

【余談】びっくりしたゲーセンバイトの話

下記は正義感などとは関係ありません。
ショッピングモールの一角にあるゲームセンターでアルバイトをしていた時の話をします。

その日私は入り口に立って、お子さん連れにクレーンゲーム一回無料クーポンを配る担当になっていました。
これは集客効果も高く、受け取った方に喜んでもらえるもので、なかなか配り甲斐がありました。
配り漏れがあってはならないと、男の子を連れた急ぎ足の女性にも後ろから声をかけました。

「〇〇でクレーンゲーム一回遊べまーす、良ければいらしてくださーい」

……反応がなく、聞こえなかったかな?と、もう一度声をかけます。

「しつこいからっ!気持ち悪いっ!」

付いて歩く息子は、私をチラッと見て母親を追いかけます。

…ポカーン
金切り声で怒鳴られた。
えっ、一言多くない?

呆然と立っていると、少し前にクーポンを渡した男の子が駆け寄ってきて「お姉さん、気にしない方いいです」と声をかけてくれ、とてつもなく心が救われました。
本当にありがとう。あの子は間違いなくモテます。
もう、誰が大人で誰が子どもなのか、わからなくなってきちゃったよ。
大打撃を喰らった私はクーポン配りを中断、涙をボロボロ流しながら事務所に戻り、他のスタッフたちを驚かせました。
当時私をしごいていた先輩たちの慰めが一層身に沁みました。

付いてる口で断ったらいいじゃないですか。
加えて人格否定風味のオプション付き。
息子の挙動から母親の機嫌を察する様子が見てとられ、なんだか気の毒になりました。
お客様は神様思考の人間は大嫌いです。
同じ人なのにちゃんちゃらおかしいことです。
ヒステリーおばさんにだけはならないようにしようと心に誓った20歳の出来事です。

言葉遣いが汚かったり関係ないことも色々書きましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
上記から、私の価値観のひとつが「理不尽に人を蔑むような人間は許せない」ということが伝わるでしょうか。
「○○せずにはいられない」という今までの経験たちが、それを浮き彫りにしてくれました。
自分の価値観を知ることは、物事の選択において重要だと痛感しています。
私はここ数年でやっと見つけることができ、「自分がわからない」という状態から抜け出せた感覚があるのです。それがとても嬉しいです。
これからもまだまだ自己理解を進めていきます。
そのきっかけになった書籍の作者さんがいるのでまた次に紹介します。


おわります。また書きますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?