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60. 驚異の4枚組にして狂気の4枚組!:『San Ra Egypt 1971 』

本日紹介する音源はこちら。以前映画の方のマガジンでぶっ飛びすぎている映画として紹介した『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』の音楽版、というかこちらの方が本家で映画の方がその解説?的な位置づけなのだが、自称土星人の鬼才ミュージシャン、サン・ラが、1971年に行ったエジプトはカイロでのライブの音源である。

イントロ的な1曲目こそ普通のジャズだが、2曲目?にサン・ラのインタビューが入る。そして3曲目からはフリージャズというかノイズというか実験音楽というか、サン・ラいわく「宇宙の音楽」が展開される。しかし、これは決して「非音楽」ではない。そう、楽器を使う以上、それはどうあがいても「音楽」になるのである。そしてサン・ラはそのことをよく分かっている。これは誰がなんと言おうと「音楽」なのである。

私見ではあるが、ジャズとは音楽から生まれ音楽を抜け出そうとしてきた音楽ジャンルである。ビバップがハードバップになり、コードがモードになり、フリージャズ、スピリチュアルジャズという流れも生まれた。音楽とはリズムでありコード(和音)でありモード(メロディー)である。しかし、その意味ではどんなにでたらめにドラムをたたいてもそれはリズムとなってしまうし、どんな不協和音を使っても、それは和音となってしまうし、どんなにでたらめに弦楽器(ピアノも含む)や管楽器を鳴らしても、それは音の配列という意味ではメロディ(旋律)となってしまう。その逃れられない宿命から逃れようと多くのミュージシャンは様々な演奏スタイルに挑戦してきた。そしてそれは確かに成果を上げたが、成果を上げるたびにそれはまた「音楽」にのみ込まれてしまった。結果として、音楽は更に成長し、進化してきたのである。

その意味で「音楽」とは怪物である。そこに音があれば、それは「音楽」に飲み込まれてしまうのだから。であれば、我々は「音楽」を敵対視する必要はない。むしろ「音楽」を利用するというのが正しい方法であり、正しいアプローチである。そしてそれを行ったのがこの時期のサン・ラであると言えよう。確かにそれは「音楽」ではあるが、しかし、今この世界にある地上の音楽とは異なる。そう、その意味でサン・ラは「宇宙の音楽」を名乗ったのである。

もちろん、それには当時の最先端技術であったシンセサイザーという楽器は欠かせなかった。原理的にはシンセサイザーはどんな音でも作り出せる。そうなると次に問題になるのはどうやってそれを演奏するか、だ。多くのシンセサイザー開発者、及びシンセサイザー奏者はそのために「鍵盤」を用いた。いまでこそKorg社のKaosspadやKaossilator的な指でこすったり叩いたりする類のものもあるが(というか今ではKaosspad自体も古くなり、iphoneやipadのアプリとなってしまったが(というか、iphoneやipad自体が「楽器」となったのであるが)それ(=鍵盤)が一番分かりやすいし、使い勝手も良かったからである。しかし、同時にそうすることにより、シンセという無限の音も「音楽」に取り込まれてしまったと言えよう。しかし/そしてサン・ラはそこにも挑戦した。鍵盤を使いながらも敢えて音階に制限されない音を彼は作り出そうとしたのである。

この脅威の、そして狂気の4枚組アルバム(というか音源)はまさにその記録である。ここには古典的な意味でのジャズもあるし、フリージャズもあるし、電子音楽もあればむしろプリミティブ(原始的)としか言わざるを得ないものもある。そしてそれ故にこれは「宇宙の音楽」としか言えないもののである(未来の、つまりは宇宙の音楽を目指すとそれがプリミティブ(原始的)に近づくという事実もまた魅力的である)。そして、それは作品としてのアルバムではなく、実験としてのライブでしか表現でき得なかったものであろう。1971年という時代にこのようなライブが、しかもエジプトという場所で行われていたことに、我々は驚愕を伴った敬意を表さずにはいられない。

とにかく、このアルバム(というかライブ音源)、今の時代に聞いても(というか聞いてこそ)新鮮な大傑作である。





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