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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 136 :過去を語り得てはいるが現在を語り得てはいない。しかし、これがむしろ今の時代のドキュメンタリーなのかも。『日の丸 寺山修司40年目の挑発』

今回紹介するアマゾンプライムビデオはこちら。TBS制作のドキュメンタリー『日の丸 寺山修司40年目の挑発』です。

この作品、決して悪くはないです。だからこそ紹介するのですが、しかし、今一つ納得できないというか、「うーん」と思う面もあります。でも、だからこそのドキュメンタリーでもあります。ドキュメンタリーというものは言ってみれば社会への挑発であり、それに対して反発や不満を抱かせてなんぼ、という世界でもあるからです。

TBSは近年ドキュメンタリー制作にも力を入れており、このマガジンでは過去に、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を紹介しました。TBSに残された秘蔵映像や忘れられた映像を掘り起こして、それを検証するという点で、今回紹介する作品と『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は似てはいるのですが、決定的に違うのは、今回の作品はその元ネタとなる1967年に寺山修司が構成を担当したTBSのドキュメンタリー番組『日の丸』を今の時代に再現しようとする試みからスタートするのですが、結局それはうまくいかず、話は、元ネタの1967年の作品の方へと行ってしまう点です。つまりはやろうとしたことがうまくいかなかったので方向転換した、というものなのですが、でも、ドキュメンタリーとしては当然それもありでしょう。

しかし、同時に、やはりそこには、作品を作品として何とか一つにまとめてしまおう、という、こういう言い方をするのは申し訳ないですが、テレビマンの狡さというか「逃げ」を感じざるを得ませんでした。「やろうと思ったのですができませんでした」、それを潔く認めることは決して悪くはありません。しかし、であれば、どうして「やろうと思ったのですができませんでした」の探求のほうに行かなかったのか、のほうに進まず、なぜ、「1967年の作品はそれができたか」のほうに行ってしまったのか、その点に個人的には疑問と残念さを禁じ得ません。

しかも、それが結論として寺山修司というある種の天才の存在や、「テレビマンユニオン」という当時の反骨集団があった故のこと、という点に集約、というかうまい具合にまとめられてしまっていることにも疑問と不満を感じます。というのもドキュメンタリーにおいては主役は物言わぬ(言いたくても言えぬ)市井の人々であるべきで、作り手はあくまで影の存在だからです。もちろん影の存在に光を当てる、というやり方もあるでしょう。で、あれば最初からそちらの方向を前面に出すべきだったのではないでしょうか。

「あなたはだれですか」と『日の丸』の前作であった『あなたは、、、』は問います。しかし、それはその質問に対する答えが欲しかったというよりも、むしろ「あなたはだれですか」と問われることに対する戸惑いを記録するための手段であり、挑発でした。しかし、それは同時にそれを問うている側にも跳ね返ってきます。事実、1967年の『日の丸』を担当したディレクターや『日の丸』の前作である『あなたは、、、』にインタビュアー役として登場した女性は、この『日の丸 寺山修司40年目の挑発』内に登場し、当時の自分自身を振り返ります。「あなたはだれですか」「なぜこのような企画をやったのですか」という問いに対し、今でも真摯に向き合っています。また、『あなたは、、、』にも『日の丸』にも登場したもう一人の女性インタビュアーについてはその後消息不明と伝えられます。この事実は、彼女は「問う」ことの重さに、耐えきれなかったのではないかということを示唆しています。「問う」ことは、「挑発する」ということはそれだけ重いことなのです。『あなたは、、、』と『日の丸』の仕掛人であった、寺山修司はその後、いわゆる前衛演劇、アングラ演劇の方へと進んでいきますが、それはやはり「ドキュメント」としてやることの重さには耐えられなかったからではないか、だから演劇というフィクションの方にと向かっていったのでは、とも考えられます。もちろん、フィクションだからこそ迫ることができること、挑発することができることもあり、その可能性に寺山は気付いたからなのでしょうが。



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