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SF名作を読もう!(1) 『2001年宇宙の旅』

さて、今回からは、SF小説の名作を取り上げ、過去に読んだものを改めて読み直して、あるいは読もうと思いながらも読めていなかったものを改めて読んでみて、皆様にお薦めしていこうと思います。あくまで「お薦め」が目的ですので、いわゆる「ネタバレ」はありませんので、ご安心ください。

さて、記念すべき第1回はスタンリー・キューブリック監督による映画のほうも(あるいは映画の方が)有名な、巨匠アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅」です。

この小説ですが、そもそもが映画の脚本と並行して書かれていたもので(実際には映画が先で小説が少し後公開されたとのこと)、クラークひとりの手によるというよりはキューブリックのアイデアも多く取り入れられているという点で両者の共作と言ってもいいでしょう。この小説(そして映画も)が発表されたのは1968年ですが、既にその15年ほど前に傑作『幼年期の終り』を発表しており、いわゆるハードSF(本格SF)の巨匠となっていました。ハードSF(本格SF)とは正確な科学知識がその背景にある作品群のことを指します。アーサーは物理学も抑えており、特に宇宙空間での物理学については科学論文も書けるほどの人物です。アインシュタインの相対性理論を十分に理解した上で、それをエンターテイメント小説の分野に持っていける人が当時どのくらいいたでしょうか。

しかし、クラークの作品の魅力は単に「科学的」であるだけではなく、それを突き詰めていくと「人間とは」「神とは」「心とは」「精神とは」というより壮大なで哲学的なテーマへと繋がっていく(繋げていく)ことができる点にあります。「人はどこからきてどこにいくのか」それがクラークの生涯のテーマであったと言えるでしょう。そしてその一つにして代表作がこの『2001年宇宙の旅』です。月で発見された、一見ただの黒い石の板のような「モノリス」は月にはない素材で構成されていますし、その3編の対比は正確な1:4:9(つまり1の2乗と2の2乗と3の2条)ということから明らかに知能のあるものの手によって製造されたものであることがわかります。では、これは何なのか、何者が何のためにここに置いた(埋めた)のか。そこから物語は科学と神話を融合させるような形で展開していきます。キューブリックによる映画版は、ある意味謎だらけで、美しすぎる映像とともにその謎が魅力的な作品ですが(脚本段階ではあったナレーションを全てカットしたからと言われています)、一方小説版は調査船ディスカバリー号(のちにこの名前はスペースシャトルに採用されました)の船長であるボーマンの目と体(まさに体!)を通してその謎が、科学的に、そして超過科学的に明かされていきます。

そして、この作品のもう一人の主人公がコンピューター、今で言えばコンピューターというよりもAIといった方がいい存在である「HAL」です。クラークは(そしてキューブリックも)、1968年の段階で、2001年はもちろん、その先の未来もはっきりと見通していました。今、改めて読み直すと、この「HAL」こそが現代的なテーマを持った存在として改めて浮かび上がってきます。一言で言えば「AIは人間になりうるか、あるいは人間と置き換わるか」というテーマです。逆に言えば、この作品があったからこそ、我々現代人はこの問題を問題として意識できるのかも知れません。

となると、「モノリス」のほうこそが、現代的なテーマ、現代的な問題、現代的な課題となる時代もいずれくるのではないでしょうか。もちろんそれは「モノリス」という形では現れないでしょう。しかし、クラークが「モノリス」を通して提示した問題、つまりは「人はどこからきてどこへいくのか」という問題は、決して絵空事の問題、観念的な問題、時間を持て余した自称哲学者が考えるだけのような問題ではありません。そして、その時が来て、ようやく私たちはそれに気づくのでしょう。「ああ、これがクラークが予言していたモノリスだったのか」と。

とにかく、この作品、現代SFへの入門書として、映画とともにお薦めです。是非お読みください。



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