第3部:ここまでの振り返りと修正(7)
7.心身二元論を超えるために(5):存在論的展開の考え方と「アクター・ネットワーク理論」
そしてこの流れの上で出てくるのが「存在論的転回」であり「アクター・ネットワーク理論」である。サルトルは自身の存在論である「実存論」において、人間を中心にその理論を組み立てていたことは第2部でも確認した通りである。しかし同時に、「全ての「存在」(「事物存在」「道具存在」「人間存在」(現存在))はお互いに無限に志向し合っている。」ということも指摘していたことも第2部で見てきたとおりである。
となると、当然「モノ」についても見ていこうという動きも生まれてくるであろうし、モノが「場」において存在する以上、その「場」自体を見ていこうという動きも出てくるであろう。そしてそのような動きがまさに「場」をみていく学問分野である人類学から「存在論的転回」として出てきたのはある意味必然的と言えば必然的である。奥野・石倉編(2018)『Lexicon 現代人類学』(以文社)において、床呂(2018,p.118)は「アクター・ネットワーク理論」(床呂は「ANT」と表記)について次のように述べている。
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またラトゥールをはじめとするANTでもエージェンシーは重要な論点である。ラトゥールは近代的な学問分野の多くを通じてこれまで通念的な枠組みであった主体/客体、人間/非人間といった二元論を批判し、むしろ人間と非人間の間の対称性を強調するアプローチが提唱されている(ラトゥール 2008)。ANTでは人間と非人間の両者に対して対称的な接近法を採用し、そこではエージェンシーを人間だけが特権的に占有するのではなく、むしろ人と「もの」からなる関係的なネットワークに分散された存在として捉えることを提唱する。このネットワークに関与している限りにおいて「もの」も人も同様の重要性を有するとされる。
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また、同書において上妻(p.153-154)は次のように述べている
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アクター・ネットワーク理論では、アクターは人間だけでなく他のアクターの状態に差異をもたらすものは全てアクターとして扱われる。あらゆるアクターは他のアクターとの関係によってはじめて特定の形態や性質をもつ。そして、そのアクターの諸関係=ネットワークによって再帰的にアクターは変化しつづける。よって、そのネットワークはあくまで不安定なものであるが、人間のスケールで見た時に相対的に安定し、一定の持続性をもつとき、それらの虚構は確定的なものとして考えられるようになる。ラトゥールは科学の発見のように、一見動かしがたい実存として扱われる対象を精緻に分析することで、ネットワークが安定化していく過程を描き出すのだが、それは虚構が実在性を獲得していく過程を描くことを意味しており、その実在があくまで確固たる実存ではなく制作された実存性に過ぎないことを暴き出す。ラトゥールの前提には、アクターとその諸関係の流動的変化と安定化過程が存在するのみであり、所与の実存は存在しない。つまり、彼は世界を一つの実存と複数の虚構という図式ではなく、複数の虚構とそれらが実在性を獲得する過程という図式で捉えているのである。
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「世界を一つの実存と複数の虚構という図式ではなく、複数の虚構とそれらが実在性を獲得する過程という図式で捉えている」という文については「存在論は存在の存在性(現実存在としての存在性)を前提にしているんじゃないの」という疑問の声が上がるかもしれないが、ここで注意していただきたいのはここでは「存在」ではなく「実存」という言葉の方が使われているという点である。サルトルの実存論で見てきたとおり、「実存」とはまさに「存在」が細胞分裂的に生成変化した「存在」であり、また変化し続けるものである。そしてその「変化」にはこれが正しい「変化」というような意味での正しい答えなど存在しない。「アクターの諸関係=ネットワークによって再帰的にアクターは変化しつづける」という文はまさにそのことを現わしていると言えよう(ちなみにサルトルは「人間は自由という刑に処せられている」という言い方でそれを表現している)。ネットワークという場(世界)において、モノはモノとして存在する(現実存在)。そしてそのネットワークという場(世界)においてモノはお互いに影響し合いながら「実存」へと動き出し、そしてそのネットワークという場自体も「実存化」していく。しかし、当然そこにはゴールも、動きの方向というものもなく、そこでは流動的変化と安定化過程が絶えず繰り広げられる(注)。
そうなると、ここに来てさらに図9のような図を描くことができるであろう。そして今度はこのネットワークという場(世界)自体を一つの存在と見た場合、そこにおいて図4から図8までの流れが再び繰り返される(図9は再び図4へと回収される)ということになる。
注)この点について久保(2018)はラトゥールのいう人間と銃の関係を使って分かりやすく説明している。「人間」というエージェント(エージェント①)と「銃」というエージェント(エージェント②)が出会うと、「人間+銃」という新しいエージェントが生まれる(エージェント③)。そしてこの新しいエージェント③の存在こそがエージェント①が当初持っていた目的を変えるしエージェント②の使われ方をも変える機能を持つ。例えば、人を殺すつもりで銃を手にしても、その銃の重さでふと我に返り銃を撃つのをやめることなどである。
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